マーラー (1860~1911)

交響曲 第1番 ニ長調「巨人」(約55分)

 マーラーのこの作品は、最初から「交響曲」の「第1番」と名づけられていたわけではない。当初「交響詩」と銘打った音楽に、マーラーは20歳前後の若き日に取り組んだ楽想をパズルのように当てはめ、1888年2月から3月にかけて一気に作品へと仕上げた。創作当時ライプツィヒ市立劇場の第2楽長の地位にあったマーラーは、作品完成からほどなくしてハンガリー王立歌劇場監督としてプダペストへ移る。この地で1889年11月20日、全5楽章の「2部から成る交響詩」は作曲者自身の指揮により初演された。
 しかし、聴衆からは思ったような理解が得られず、マーラーはこの作品に手を加えることにする。1893年10月27日、ハンブルク市立劇場の楽長としてようやく2度目の演奏の機会を得たマーラーは、タイトルを「『巨人』、交響曲形式による音詩」に改め、詳細な説明を添えた。第1部「青春の日々より―花、果実、いばらの曲」では現行4楽章版の第1、第2楽章の間に〈花の章(ブルーミネ)〉を挟み、第2部「人間喜劇」には現行の第3、第4楽章を配置した結果、演奏会は成功を収める。新しいタイトル「巨人」は、マーラーが当時愛読していたジャン・パウル(1763~1825)の長編小説の名に由来する。「花の章」という標題も同じ作家の著作から取られたものである。
 ハンブルクでの成功に気をよくしたマーラーは、ワイマールの第2楽長リヒャルト・シュトラウスの仲介により1894年6月3日、当地での演奏に臨んだ。しかし、そこでは賛否両論が巻き起こり、マーラーは1896年3月16日に行われたベルリンでの演奏の際に、すべての標題と説明を撤回すると同時に〈花の章〉を削除し、タイトルを「大管弦楽のための4楽章からなる交響曲 ニ長調」へと変更した。この時点でついに「交響曲」として歩き出したものの、「第1番」という数字は1899年の楽譜出版に際してようやく登場した。
 その段階で大幅に改訂した理由について、マーラーは評論家で作曲家のマックス・マルシャルクに宛てて、「後から考えた標題と説明がかえって聴衆を戸惑わせるのがわかったからだ」と書いている。とはいえ、同じ相手に対して第3楽章(葬送行進曲)の由来や、後述する《交響曲第2番》との関係を書き送ったマーラーの行動様式を見ると、創作の意図と構想の過程を理解するうえで、1893年の「ハンブルク稿」で破棄された標題を無視することもできないだろう。
 音楽面に着目すると、楽想の核の部分を複数の作品間で共用することによって、マーラーが創作のネットワークを重層的に広げていった様子を見て取ることができる。《交響曲第1番》の第3楽章中間部の旋律の元をたどると、1880年に作られた《嘆きの歌》(初稿)において、〈第1部「森のメルヒェン」〉の後半に現れるまどろみのフレーズであった。それはさらに《さすらう若者の歌》の〈第4曲「彼女の青い目が」〉で拡大された旋律として登場した後、交響曲へと転用される。また、1880年の歌曲《草原の5月の踊り》は《ハンスとグレーテ》へと看板をすげかえて再登場し、そこに特徴的なレントラー風のリズムが、《第1番》第2楽章における推進力に満ちた3拍子へと発展する。さらに、削除された〈花の章〉は、ヴィクトル・フォン・シェッフェルによる見世物の一種「活人画」への付随音楽として、1884年にマーラーが作曲した音楽の一部が転用されたと考えられている。そして、次の交響曲にも関連性が及ぶ。《交響曲第2番》第1楽章の前身である《葬礼》では、《第1番》の主人公である英雄が葬られるのだというのである。このように、《第1番》はまるでパッチワークのように過去もしくは同時代の自作品に基礎づけられている。この手法がその後のマーラーの創作スタイルとして定着したことを考えると、彼の複雑な創作の方法も、特筆すべき作曲技法のひとつであると理解することができるだろう。

第1楽章 ゆっくりと、引きずるように、自然音のように。ニ長調、4/4拍子。長い導入部では、弦楽器が倍音を発生させるフラジオレット奏法を用いて茫漠(ぼうばく)とした響きを奏でる中、ファンファーレや鳥の模倣音が発せられる。ソナタ形式の主部は《さすらう若者の歌》の〈第2曲「朝の野辺を歩けば」〉と同一の旋律で構成される。
第2楽章 力強い動きをもって、しかし速すぎずに。イ長調、3/4拍子。ハンブルク稿で「スケルツォ」と記された勢いのある主部と、落ち着いた調子のヘ長調で奏されるトリオからなる。
第3楽章 厳粛に悠然と、引きずらずに。ニ短調、4/4拍子。フランスの童謡《フレール・ジャック》もしくは民謡《マルティン兄貴》として知られる旋律がカノンで展開される。ハンブルク稿では「カロ風の葬送行進曲」と題されたが、これは、銅版画家ジャック・カロの絵を見て『カロ風の幻想作品集』を書いたE. T. A. ホフマンのアイロニカルな姿勢にマーラーが共鳴してつけたものである。弱音器付のコントラバス主題、Es管クラリネットの旋律、弦楽器の弓の木の部分で弦を叩くコル・レーニョ奏法などが次々と現れ、「狩人の葬送」を表現する。
 なお、今回使用される国際グスタフ・マーラー協会の批判校訂版全集の楽譜では、冒頭のコントラバスの主題はパート全員によるユニゾンで演奏するよう指定されている。
第4楽章 嵐のように速く。ヘ短調、2/2拍子。第3楽章から続けて、シンバルの強打とともに開始する。激動の主題群が一段落すると、それと対照的に平穏な旋律が現れる。さらに第1楽章の回想を交えながら進行し、やがて金管の咆哮(ほうこう)とともに、ニ長調の主和音が執拗(しつよう)なほど輝かしく繰り返されて全曲を締めくくる。

作曲年代:1884年頃~1888年
初演:1889年11月20日、ブダペスト、マーラー自身の指揮

(山本まり子)