メンデルスゾーン (1809~1847)

ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 (約27分)

 1829年、20歳の年に故郷ベルリンでバッハ《マタイ受難曲》の復活上演をなしとげ、その後も国際的な活躍を続けていたメンデルスゾーンは、1835年、26歳でライプツィヒにやってくる。90年の歴史をもち、かつてモーツァルトやウェーバーも登場したゲヴァントハウス演奏会(現在のゲヴァントハウス管弦楽団)から音楽監督として招かれたのである。メンデルスゾーンはその伝統に新風を吹き込んだ。それまでの音楽監督は声楽曲だけを指揮していたのだが、メンデルスゾーンは声楽も器楽も自分で指揮した。演奏だけでなく運営にも積極的に関わった。今日的な意味での「音楽監督」の役割を、メンデルスゾーンは自分で作り出し、実行したのである。彼はその後の生涯をこの演奏会とともに過ごし、その水準をヨーロッパ一に引き上げた。
 このゲヴァントハウスで、メンデルスゾーン時代にコンサートマスターを務めていたのがフェルディナント・ダーヴィトという人物であった。ヴァイオリンの名手であるのみならず作曲も行い、メンデルスゾーンの代役として指揮を務めることもあったダーヴィトに、メンデルスゾーンは厚い信頼をおいていた。1838年7月、彼はダーヴィトへの手紙の中で、「口に出しては言いにくいのだが、僕にとって君は、芸術の領域で一致することができ、同じ道を歩むことができるかけがえのない存在だ」と述べている。続けて彼は、新しい作曲の計画を伝える。「僕は君のためのヴァイオリン協奏曲を一曲、次のシーズンに向けて作曲するつもりだ。ホ短調の楽想が頭に浮かんでいるので、とりかかろうと思う」。こうして、あまたのヴァイオリン協奏曲の中でもとりわけ人気の高い名曲が生まれることになる。
 「次のシーズン」を想定したものの、実際には作曲に6年の月日を要した。初演は1845年3月にゲヴァントハウスで行われ、成功を収めた。独奏はもちろんダーヴィト。だが指揮はメンデルスゾーンではなく、副指揮者のデンマーク人ゲーゼが務めた。メンデルスゾーンは病気で出席できなかったのである。その後も彼の体は容易に回復せず、2年後の1847年11月4日、彼は38歳でこの世を去ることになる。
 協奏曲というと「独奏者の華麗な技巧を披露するための曲」としての側面が注目され、もちろんこの曲にもそういう要素はたくさん備わっている。だが19世紀ロマン主義の作曲家たちは、別の性格をも協奏曲に与えようとした。詩的・劇的なイメージを協奏曲に重ね合わせようとしたのである。
 その先駆となったのは、シュポーア《ヴァイオリン協奏曲第8番「劇唱の形式で」》(1816年)とウェーバー《ピアノ小協奏曲へ短調》(1821年)であった。前者はその名の通りオペラ・アリアの形式をそのまま借り、独奏ヴァイオリンを主人公に見立ててオペラの一場面を演じさせようとした。後者には「十字軍で出征中の夫を心配する妻のもとに夫が無事帰ってくる」という中世騎士物語風のストーリーが隠れていると伝えられ、しかも随所にオペラを思わせる表現法が取り入れられていた。これら2曲が19世紀の作曲家たちに与えた影響は絶大だった。曲の冒頭から独奏が登場して音楽をリードすること、しばしばレチタティーヴォ(語り)風のパッセージが見られること、楽章間を切れ目なくつないで全曲の一体性を高めようとすること、物憂(ものう)げな中間部に続いてファンファーレが響き、歓喜のフィナーレを導くこと。19世紀の協奏曲にしばしば見られるこうした特徴は、どれもシュポーアとウェーバーの影響であり、協奏曲に詩的なイメージを重ねようとする試みなのである。
 そうした特徴を、メンデルスゾーンのこの曲も持っている。豊かな旋律美やしなやかなリズムなど、メンデルスゾーンならではの個性も存分に備える一方で、この曲は同時代の美意識にしっかりと根ざしてもいるのである。
 作品は3つの楽章からなるが、全体は切れ目なくつながれている。

第1楽章 アレグロ・モルト・アパッショナート。弦楽器とティンパニによるさざ波のような音型に導かれ、独奏ヴァイオリンが、どこかやるせなげな第1主題を歌い始める。この主題は次第に力と勢いを増し、その後木管楽器による静かな第2主題が聴こえる。独奏ヴァイオリンのカデンツァを経て両主題の再現、音楽はどんどん勢いを高め、ファゴットの響きだけを残して楽章を閉じる。
第2楽章 アンダンテ。ファゴットの音に少しずつ楽器が重なって、独奏ヴァイオリンの主題を導く。《無言歌集》の作者ならではの、甘く美しい旋律である。
第3楽章 アレグレット・ノン・トロッポ─アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。短い移行句では、第2楽章の主題の面影を留めつつ、ヴァイオリンの独白が第3楽章を導く。突然響く管楽器のファンファーレに鼓舞されて、ヴァイオリンが軽やかで歓(よろこ)ばしい主題を奏でる。第2主題は行進曲風。その後新しい素材も現れ、ヴァイオリンは奔放な勢いを衰えさせることなく、終結を迎える。

作曲年代:1838~1844年
初演:1845年3月13日、ライプツィヒのゲヴァントハウス演奏会、フェルディナント・ダーヴィト独奏、ニルス・ゲーゼ指揮

(吉成 順)