ラヴェル (1875 - 1937)

バレエ音楽「ダフニスとクロエ」*

 ラヴェルの《ダフニスとクロエ》は、古代ギリシャの作家ロンゴスの同名の物語(2~3世紀頃)によるバレエで、ロシア・バレエ団のために書かれた。古代の田園を舞台にした牧人の少年少女の恋物語だが、物語の背後には半人半獣のパン神がいる。パンの笛は牧人の道具、パン神は牧人の護り神なのだから。
 第1部の舞台には、3人のニンフ(水の精)の像が刻まれた祠(ほこら)があり、遠方の岩塊はパン神に似た形をしている。〈導入部〉のフルートの旋律は、言わば「パンとニンフの主題」。直後にホルンが独奏する旋律は、山羊飼いの少年ダフニスと結びつく。牧人たちの厳かな〈宗教的な踊り〉に続いて、若者たちが7/8拍子で軽快に踊る(〈全員の踊り〉)。その終わり頃、牛飼いドルコンが羊飼いの少女クロエにキスしようとして、ダフニスを怒らせる。二人はクロエの口づけを懸けて踊りを競うことに(その直前に弦が奏でるのがクロエの主題)。鈍重な〈ドルコンの踊り〉に若者たちは笑い出し、優雅な〈ダフニスの踊り〉に軍配が上がる。クロエの口づけ。ひとり余韻にひたるダフニスの前に、年増女のリュセイオンが登場(クラリネット)。踊りながら衣を落として誘惑するが、相手にされずじまい。年増女が拗(す)ねて去ると、急に物々しい空気が……海賊の来襲だ! クロエの身を案じて駆け出すダフニス。入れ替わりにクロエが現れ、祠の前で祈るが、押し寄せてきた海賊たちにさらわれてしまう。残されたサンダルから事情を察したダフニスは、「なぜクロエを護ってくれなかった」と神を呪い(パンとニンフの主題)、悲しみと絶望で気を失う。夜の訪れ(〈夜想曲〉)。祠のニンフ像が一人また一人と動きだし、静かに踊る(パンとニンフの主題)。ニンフたちはダフニスに気がつき、彼に意識を取り戻させると、パンに祈らせる。すると、遠方の岩塊が巨大なパンの形をとりはじめた……。
 無伴奏合唱による神秘的な〈間奏曲〉。そこに猛々(たけだけ)しい海賊のテーマがまざりはじめ、音楽は第2部、海賊たちの野営へ。荒々しい〈海賊たちの踊り〉が終わると、クロエが海賊の頭領ブリュアクシスの前に引き出される。〈クロエの嘆願の踊り〉も甲斐がなく、隙をみて逃げようとするが果たせない。ブリュアクシスがクロエを我が物にしようとしたその時、突如、空気が一変。サテュロスたちが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、大地は大きく割け、山々の上に巨大なパン神が姿を現す(パンは「パニック」の語源である)。海賊たちが逃げ去って舞台が静かになると、物語は第3部へ(ここから後がよく演奏される「第2組曲」に当たる)。
 〈夜明け〉。舞台は第1部と同じ。鳥たちが鳴く。遠く、近く、羊飼いが牧笛を吹いて通り過ぎる。クロエの主題、そしてダフニスの主題。二人の再会の後、音楽は雄大なクライマックスを築く。その余韻のなか、老羊飼いラモンが二人に語る(オーボエが繰り返す音型)――パンがクロエを助けたのは、かつて恋したシリンクスを想ったためだ、と。そこで二人は〈無言劇〉を演じてパン神に捧げる。パン(ダフニス)の求愛を拒み、葦(あし)の茂みに姿を隠すシリンクス(クロエ)。神話と異なり、ここではパンは、葦に変じたシリンクスでなく、手近の葦で笛をこしらえ、思いの丈(たけ)をこめる(フルート独奏)。茂みから出てきて、これに合わせて踊るシリンクス。吹奏と踊りのテンポは速まり、ついにシリンクスは倒れ伏す(急下降する半音階)が、それを受け止めたアルト・フルートが吹くのは、ダフニスの旋律にほかならない。演じ終わった二人は、祠の前で結婚の誓いを立てる(パンとニンフの主題)。そこへバッカスの巫女の格好をした娘たちが乱入し、二人を祝って、5/4拍子を主体とした〈全員の踊り〉が始まる。中ほどではクロエの主題が、続いてドルコン、ダフニスの主題が聴かれる。バッカナール(酒神バッカスの踊り)の名に恥じない熱狂的な踊りで幕が降りる。
 なお、パンの笛といえば、ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》が思い出されるが、ラヴェルはこの曲への賞賛を惜しまず、折しも《ダフニス》作曲中の1910年に、これをピアノ連弾用に編曲している。

作曲年代:1909~1912年
台本:ロンゴス『ダフニスとクロエ』に基づきミハイル・フォーキンが執筆
初演:1912年、シャトレ座、ピエール・モントゥー指揮、ロシア・バレエ団、ミハイル・フォーキン振付、レオン・バクスト美術・衣装、配役はニジンスキー(ダフニス)、カルサヴィナ(クロエ)他

(近藤秀樹)