シューマン (1810 - 1856)

チェロ協奏曲 イ短調 作品129 (約25分)

 古典性とロマン性が斬新(ざんしん)な形で融合したチェロ協奏曲史にそびえる名作。シューマン後期の様式を拓(ひら)く大作としても意義深い。1850年9月2日の夕刻、松明(たいまつ)と合唱の熱狂的な歓迎をうけて、ローベルト・シューマンはライン河畔のデュッセルドルフに街の音楽監督として赴任した(40歳)。メンデルスゾーンも務めた名誉あるポストに勇躍して臨んだこの日から、シューマンの後期は始まる。
 シューマンの記録資料にチェロが登場するのは1832年(22歳)の晩秋、右手の中指が麻痺(まひ)してピアノの練習から遠ざかっていた頃だった。「またチェロにとりかかろうと思います……交響曲の作曲に役立つでしょう」と母に書く。ただしチェロのための作品が生まれるのは17年後の《民謡調の5つの小品》(作品102)で、同じ年の『計画帳』に「チェロと管弦楽のための楽曲」も登場してくる(1849年)。すでに10年におよぶ評論活動を通して、ハイドン以来、高度な技巧を伴うチェロ協奏曲が存在しないことを痛感していたシューマンは、新しい赴任地で定期演奏会を任されたのを機に、すぐさま作曲にとりかかった。創作メモを兼ねた「家計簿」を見るとおよそ2週間で作曲が完了し、1週間後にスコアが完成(11月1日)。その意欲のまま1週間の後には、《交響曲第3番「ライン」》が書き始められている。
 ただしチェロのパート譜を仕上げるには、なお実践的な助言が必要だった。年明けにチェロ奏者ライマースによって音響を確認し、秋には作曲家としても知られる31歳のチェロ奏者ボックミュールに助言を請う。彼はいったん作品を称賛するものの、慣用的なチェロの用法に基づいて、随所に改変を求め続けた。第1楽章はテンポを遅くしてパトスにあふれたものに、第3楽章の技巧的な楽句は歌うように変更を、というように。現存する2人の手紙は2年で16通にもおよぶ。ところが、シューマンは第1楽章のメトロノーム数値(144を初版譜で130に)や指使いなど一部を除いて、彼の提言を無視してしまった。憤ったボックミュールは、すでに当地に移住して定期公演に備えていたにもかかわらず、演奏を拒み、こうして初演の計画も消えたのだった。ちなみに、シューマン入院後に刊行された初版譜(1854年8月、ブライトコプフ&ヘルテル社刊)には、演奏難度の高い箇所に簡易バージョンが添えられている。
 妻クララははやくも作曲の翌年に、その印象を「ロマン性、躍動感、清新さとフモール(達観したおかしみ)、歌うような深い情感、独奏と管弦楽の緊密な縒(よ)り合せ」と見事に記している(1851年)。3つの楽章は古典的な骨格を持ちながら途切れなく演奏され、独奏と管弦楽の書法が繊細に入り組み、音型のネットワークを張り巡らせつつ進展する。シューマンがこの作品をたびたび「シュテュック(ひとまとまりの楽曲)」と呼んだことも理解されよう。楽章の枠が解消される一方で、いまや形式の要を担うのは核モチーフとここから派生する主要主題である。核モチーフは、作品の冒頭でひそやかにたちのぼると、第1楽章のみならず、楽章と楽章をつなぐ2つの移行楽句、さらに第3楽章にも姿を現して「遠方の記憶」を呼び起こし、いわばロマン的な回想形式を構築していく。
 何より聴き手を魅了するのは、このフィールドから独奏チェロが鮮やかに抜きんでてくることであろう。若き日のシューマンの作品では、彼自身の分身とみられる2つの対照的な楽想によって独自の内面世界が表現されていたが、この作品ではチェロがひとつの根源から出てひとつの方向へ、超絶技巧とともに自ら変容を重ねながらひたすら前進する。この独奏のスタイルは、はじめての公的職務におけるシューマン自身の気概としても解釈される。ところで、のちにシューマンは出版者に宛(あ)てて本作品を「徹底して快活な作品」と自負している(1853年)。「快活なheiteres」は彼が傾倒するジャン・パウルの教育理念に沿うなら、旧来の慣習に捉(とら)われない無垢の大胆さを示すもの。《チェロ協奏曲》には、まさにこの意味で快活な精神がみなぎっている。

第1楽章 速すぎず。イ短調─イ長調、ソナタ形式。3つの和音からなる核モチーフを木管が提示。ここから派生する主要主題を、独奏チェロがどこまでものびやかに紡ぎ出していく。低声部から駆け上がる副主題は躍動感にあふれ、熱度を増していくが、再現部の最後に「抑制しながら」核モチーフが響くと、そのまま移行部となって第2楽章に進む。
第2楽章 ゆっくりと。ヘ長調、3部形式。クララが好んだ5度音程の下行音型(クララ音型)で開始する。美しい旋律が表情豊かに歌われていくと、中間部では重音奏法による深々とした音色が胸をうつ。再現部の終盤において、突然、第1楽章の主要主題が姿を見せ──先の移行部で核モチーフのあとで主要主題が取り残されていたのだった──すぐに平静を取り戻すものの、やがてチェロがレチタティーヴォ風にざわめいて、速度をましながら第3楽章に入る。
第3楽章 きわめて生き生きと。イ短調─イ長調、ソナタ形式。核モチーフの変形主題によってきっぱりと開始。単純化されたリズムと音響をかき分けるように、チェロが超絶技巧をきかせていく。クララ音型が副主題として軽やかさを添え、核モチーフが技巧楽句にやさしく寄り添うなど、前の楽章に現れた音型が新しい意味をもって加わる。華麗なカデンツァののち、クララ音型がふり注ぐコーダが情熱的な頂点を形成する。

作曲年代:1850年10月10日~11月1日、デュッセルドルフで
初演:公式初演は1860年6月9日、シューマン生誕50年祭にて。エーベルトのチェロで(ピアノ伴奏)

(藤本一子)