ドヴォルザーク (1841 - 1904)

交響曲 第8番 ト長調 作品88 (約34分)

 「あなたが私の交響曲を拒絶なさるのなら、もう私はあなたに大きな作品を何もお送りいたしません。というのもあなたがその種のものを出版できないことを、私は前もって分かっているわけですからね」(ドヴォルザークのジムロック宛の1890年10月7日の手紙より)
 《交響曲第8番》の出版をめぐってドヴォルザークと出版業者ジムロックとの間でかわされた一連のやりとりは、当時のヨーロッパの音楽界においてこの作曲家が置かれていた位置を知る上で、とても興味深い史料だ。
 ジムロックといえば、ブラームスの仲介で1878年に関係を持って以来、ドヴォルザークを一貫してサポートしてきた出版業者である。彼は個人的にもドヴォルザークの音楽を好んでいたらしい。ただ、このチェコ人作曲家が交響曲やミサ曲も出版したいと申し出たとき、ジムロックは慎重にならざるをえなかった。ドヴォルザークの場合、小品ならばともかく、大規模な作品で会社に利益をもたらせるかどうか分からないというのが、彼の基本的な考えだったのである。実際にもドヴォルザークの以前の交響曲の出版で、この出版業者はすでに「何千マルクもの損失」を出していたという。《スラヴ舞曲集》のような「異国風」の音楽ならばよろこんで聴くのに、交響曲のような「普遍的な」――ドイツ人から見れば、「ドイツ的」な――ジャンルにおいてはチェコ人作曲家の仕事の真価をなかなか認めようとしない、そんなドイツ語圏の空気をジムロックはプロの出版業者として、肌で感じていたのだろう。
 一方、ドヴォルザークはもう昔の彼ではなかった。芸術音楽の大消費国であるイギリスで成功を重ねるうちに、すっかり自分の才能に自信を持つようになっていたのだ。そして実際に、忙しくもあった。2か月半で《交響曲第8番》を書き上げた後、次は《レクイエム》に取りかからねばならなかったし、その間にプラハでの《第8番》初演、4週間のロシア旅行、さらに《第8番》のロンドン初演など、大きな仕事を次々にこなさなくてはならない状況にあった。当然、大きな仕事に集中するためには、生活の安定を保障してくれるようなまとまった収入が必要だったのだ。
 結局両者の間で折り合いはつかず、ト長調の交響曲はイギリスのノヴェロから出版されることになった。この曲が「イギリス」と呼ばれるのは以上のような経緯によってである。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ、ト長調、4/4拍子。ソナタ形式。意表をつくように、冒頭はト短調ではじまる。哀愁を帯びたチェロの主題がト長調の和音上で終止すると、やがてフルートが第1主題を奏ではじめる。そこからヴィオラとチェロの副主題をまじえつつ、にぎやかな音楽がしばらく続く。第2主題はロ短調で行進曲風。展開部は冒頭の再現からはじまり(ブラームスも《第4番》で同じ工夫をしていた)、第1主題と副主題が主に用いられる。冒頭主題がファンファーレのかたちで戻ってくると、もうそこからは再現部だ。第2主題がト短調で再現された後、第1主題を素材とするコーダで曲は簡潔に閉じられる。
第2楽章 アダージョ、ハ短調、2/4拍子。変則的な3部形式。のどかさと厳かさをたたえた主部の後にユーモラスなハ長調のエピソードが続く。再び主部が現れ、今度は劇的な緊張感が高まるが、エピソードがまたこれに続く。最後に主部の素材がもう一度回想され、曲は静かに終わる。
第3楽章 アレグレット・グラチオーソ、ト短調、3/8拍子。3部形式。慣例的なスケルツォのかわりに、ワルツが使われている。中間部の素材はドヴォルザーク自身のオペラ《頑固者達》と関連性があり、田園風の素朴な味わい。同じ中間部の素材はコーダでも2拍子のかたちで使われる。
第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ト長調、2/4拍子。ソナタ形式の構成原理を取り込んだ変奏曲。変奏主題は冒頭のファンファーレや中間部の主題とモティーフの上で関連性を持つほか、第1楽章のフルート主題とも類似している。多彩な旋律が互いにうまく関連づけられた、ドヴォルザークならではの終曲。

作曲年代:1889年8月26日に着手。同年11月8日に完成
初演:1890年2月2日、プラハ・ルドルフィヌムでの国民劇場管弦楽団の演奏会で作曲家本人の指揮による

(太田峰夫)