リムスキー・コルサコフ (1844 - 1908)

交響組曲「シェエラザード」作品35

 19世紀ロシア音楽のアカデミズムを牽引(けんいん)した作曲家ニコライ・リムスキー・コルサコフの《シェエラザード》は、インド・イラン起源の説話集『千一夜物語』にもとづく管弦楽曲。おそらくこの作曲家の作品のなかで最も演奏頻度の高い楽曲といえる。そしてこの作品は、ロシア人作曲家ボロディン(1833~1887)のオペラ《イーゴリ公》、なかでも特に有名で東洋趣味を感じさせる〈ダッタンの娘たちの踊り〉といくつかの共通項をもっている。
 ボロディンが1887年に急死した後、リムスキー・コルサコフは直ちに《イーゴリ公》の草稿を集め、同じくロシアの作曲家グラズノフ(1865~1936)とともに補完作業に取り掛かった。本作《シェエラザード》は、この作業過程で着想を得た作品なのである。
 《シェエラザード》の「シェエラザードの主題」と《イーゴリ公》の〈ダッタンの娘たちの踊り〉の主題はよく似ており、たとえば両旋律とも、短音階の下行音型からなる旋律を、隣り合う音同士が行きつ戻りつしながら装飾する。これによって生まれる艶(なまめ)かしい調べが、一度聴いたら忘れないような官能的な東洋趣味を聴く者の耳に植え付けている。
 また1909年に《イーゴリ公》、1910年に《シェエラザード》が、世紀の興行師ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の公演で取り上げられ、これらの舞台は「異国情緒あふれる幻惑的なロシア」の象徴としてロシア性のアピールに大いに貢献した。ここでのロシア性とはすなわち、西洋化から抜け出し、独自路線を獲得したロシア性である。
 本来、他者たる東洋趣味をロシア性に織り交ぜて国外にアピールするやり方は、このように当初ロシア人が仕掛けたものであった。1899年3月にもブリュッセルで、《シェエラザード》や《イーゴリ公》からのいくつかの「踊り」を始めとするロシア人作曲家の作品が、ボリス・ヤノフスキー指揮による演奏会で取り上げられている。リハーサルに居合わせたリムスキー・コルサコフは、「どこに向かおうとしているのでしょう!すべてが東洋音楽です」と選曲に憤慨し、その様子をソプラノ歌手ナジェジダ・ザベーラ・ブルーベリに書簡で伝えている。
 結局ディアギレフが踏襲したことで、ロシア性をアピールするこうした路線は決定的なものとなった。そしてこの路線がヨーロッパ諸国で大いに受け、ロシア音楽受容は加速していったのである。《シェエラザード》はこの流れにおける重要な布石のひとつであった。
 さて《シェエラザード》は交響組曲というジャンルで書かれているが、交響曲と交響詩を折衷したような形をとる。4楽章からなる一方、作品全体にわたって構想(プロット)をもつ標題音楽でもある。
 以下はリムスキー・コルサコフが演奏会プログラムに記した作品の構想である。王妃の不貞を知り女性不信になったシャフリアール王は王妃を処刑し、その後は若い乙女と一夜を共にしては翌朝に殺害するという暴君ぶりをくり返していた。やがて次の花嫁に名乗り出たシェエラザードが、夜ごと「今日はここまで」と言って王にさまざまな物語を話して聞かせ始める。続きを聞きたい王はシェエラザードを生かし続け、千一夜経つ頃にはついに殺害することを止めてしまった──。
 作曲家の自伝『わが音楽生涯の年代記』によると、各楽章は次の物語にもとづく:第1楽章「海とシンドバッドの船」、第2楽章「カレンダー王子の物語」、第3楽章「若い王子と王女」、第4楽章「バグダッドの祭り 海 船は青銅の騎士のある岩で難破 終曲」。そして「シャフリアールの主題」と「シェエラザードの主題」は循環主題として作品全体にわたり登場する。説話の具体的な展開との一致こそ観られないものの、ふたりがさまざまな物語世界を旅する様子が描かれる。

 第1楽章(ラルゴ・エ・マエストーソ)は、展開部のないソナタ形式。序奏冒頭に荒々しい暴君「シャフリアールの主題」、続いて独奏ヴァイオリンによる艶っぽい「シェエラザードの主題」が流れる。主部に入ると大洋の浪間が広がるような音型が広がり、やがて海洋を旅する「シンドバッドの主題」が朗々と奏でられていく。
 第2楽章(レント)は3部形式。冒頭で「シェエラザードの主題」が新しい物語の始まりを告げる。やがて滑稽(こっけい)な道化者カレンダー王子の主題がファゴットによって奏される。
 第3楽章(アンダンティーノ・クワジ・アレグレット)も3部形式。中間部の冒頭で「シェエラザードの主題」が顔を見せる。
 第4楽章(アレグロ・モルト)ではさまざまな主題が走馬灯のように流れる。冒頭で「シャフリアールの主題」が荒々しく現れ、「シェエラザードの主題」が続く。そして細かな舞踊のリズムに乗って、祝祭の旋律が賑(にぎ)やかに反復されながら、徐々にはげしさを増してゆく。

作曲年代:1888年
初演:1888年11月3日(ロシア旧暦10月22日)、リムスキー・コルサコフ指揮、サンクトペテルブルク、ロシア音楽協会

(中田朱美)