エルガー (1857 - 1934)

チェロ協奏曲 ホ短調 作品85

 第一次世界大戦(1914~1918年)の最初の3年間、エルガーは国民的作曲家としての責務感から《カリヨン》《ポロニア》《艦隊の支え》《イングランドの精神》など戦争に因(ちな)む多くの作品を作って国家に協力した。しかし大戦も4年目の1918年に入ると、激烈な総力戦による膨大な人命の損失と人心の荒廃に深い衝撃を受け、エルガーは鬱屈(うっくつ)した精神状態に陥った。自らの体調不良と愛妻アリスの健康の悪化がこの傾向にさらに拍車をかけた。
 疲労困憊(こんぱい)したエルガーはロンドンの喧騒(けんそう)を離れて西サセックス州の鄙(ひな)びた小村にあるブリンクウェルズ荘で過ごすことが多くなった。森のなかの散策、庭いじりや薪(まき)割りに勤(いそ)しんで創作意欲を回復したエルガーは室内楽作品の作曲に没頭する。こうして1918年春から1年のうちに、それぞれの分野で唯一の作品となる《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》《弦楽四重奏曲》《ピアノ五重奏曲》が誕生した。《チェロ協奏曲》の作曲は、これらの室内楽作品と併行して始められ、ロンドンとブリンクウェルズ荘の間を行き来しながら1919年5月から8月にかけて仕上げられた。作曲中には友人のチェリスト、フェリックス・サルモンドがしばしばエルガーを訪れては演奏技術上の助言を与えた。
 エルガーの特徴である重厚で複層的なオーケストレーションは影をひそめ、チェロのソロに金管楽器が重ねられることはほとんどなく、トゥッティも終楽章を中心にしてごく僅(わず)かしか現れない。
 ブリンクウェルズの自然を思わせる牧歌的な部分もあるが作曲当時のエルガーの心境を反映してか、沈鬱(ちんうつ)でメランコリックな楽想が全体を支配している。
 初演は1919年10月27日にロンドンにおいてサルモンドのソロ、エルガー自身が指揮するロンドン交響楽団によって行われたが、十分なリハーサル時間が得られず、初演は不本意な出来に終わった。しかしながら1920年代以降カザルス、スクワイヤー、ピアティゴルスキー、フルニエ、ナヴァラ、トルトリエ、デュ・プレらチェロの名手たちがレパートリーに加えることによって作品の評価は徐々に高まり、現在はエルガーの代表作のひとつとなっている。
 エルガー夫人アリスは初演後半年も経たない1920年4月7日に逝去し、その打撃からエルガーはその後本格的な作品を書くことができなかった。《チェロ協奏曲》は図らずもアリスと自らの創作活動へのレクイエムとなったのである。

第1楽章 アダージョ ホ短調 4/4拍子―モデラート 9/8拍子─12/8拍子─9/8拍子。短く激しいチェロの詠嘆調カデンツァで始まる。ここに現れる4つの和声が全曲の空気を支配する。ソロ・チェロの出だしにはエルガー特有の「ノビルメンテ」(高貴に)の表示が付されている。主部は森に立ち込める霧のようなヴィオラとチェロの旋律をチェロのソロがなぞるように進み、木管群が時折つぶやくように和声を加えていく。切れ目なしに第2楽章に飛び込む。
第2楽章 レント─アレグロ・モルト ト長調 4/4拍子。実質的なスケルツォ楽章であり、協奏曲には珍しい。チェロが3度にわたり誘いかけるようなフレーズを奏すると、ようやくオーケストラが呼応する。チェロとオーケストラが代わる代わる無窮動(むきゅうどう)風の主題を追いかけまわす。ソロ・チェロとヴィオラ以下の弦楽器群のピチカートで結ばれる。
第3楽章 アダージョ ホ長調 3/8拍子。束(つか)の間の休息のような静謐(せいひつ)な旋律が歌われ、チェロと弦楽器群の瞑想(めいそう)的な対話が続く。ホルンを除いて金管楽器がまったく登場しない、わずか60小節の短いアダージョである。
第4楽章 アレグロ ホ短調 2/4拍子―モデラート―アレグロ、マ・ノン・トロッポ―ポーコ・ピウ・レント―アレグロ・モルト。威嚇的で焦燥感に駆られたような主題と、それを押し止めようとするチェロの抵抗で進められる。ここでもチェロの出だしには「ノビルメンテ」と表示されており、エルガーが「わが理想」と語っていたシューマンの《チェロ協奏曲》を思わせるパッセージも垣間見られる。チェロの努力を否定するかのように金管楽器群が咆哮(ほうこう)し、重々しいオーケストラのトゥッティの間奏が唐突に終わると、弦楽器群とチェロが再び韜晦(とうかい)するような対話を続ける。コーダの直前にはレントで第3楽章の主題が短く回想され、そのまま消え入るように終わるかにみえるが突然、第1楽章冒頭のカデンツァが再びチェロに現れる。ソロの嘆きを断ち切るようなトゥッティの二撃が加えられ、第4楽章の主題に導かれて沈鬱な空気を払拭(ふっしょく)できないまま、一気呵成(かせい)に全曲を閉じる。

 なお、エルガーは、英国の名女流チェリスト、ベアトリス・ハリソン(1892~1965)をソリストにして、自らの指揮でたびたびこの曲を演奏し、1920年と1928年にはレコード録音も行っている。

作曲年代:1918年3月~1919年8月(一部は1913年に遡る)
初演:1919年10月27日、ロンドン、フェリックス・サルモンドのチェロ、作曲者自身の指揮、ロンドン交響楽団

(等松春夫)