NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

音の記憶

 

音のある風景

笹岡 隆甫

(華道家)

 

 冬。凛と張り詰めた冷気の中、しんしんと降り積もる雪。そして遠くに響く除夜の鐘。私が思い描く原風景は、とても静かだ。限りなく無音に近いようで、けれどもやはりそこには音がある。それは生命の始まりの音に近いのかもしれない。羊水の中で聴いた母の鼓動。光の届かない海の底をアンコウがゆったりと泳ぐ音。

 

 春。満開の桜を求める行楽客でにぎわう夜の京都。高台寺塔頭、月真院の小さな山門は閉ざされており、ひっそりとした佇まいを見せる。八坂の塔を望むその前庭に床机を並べ、客席を設える。舞台は畳敷きの本堂。縁が高いので、やや見上げる形となり、奥行きも高さも申し分ない。さあ、ステージの始まりだ。月明かりの中、友人の能楽師の謡(うたい)にあわせて、私が桜をいけこんでいく。白っぽい桜の花は、和の音階の中で、時にはかなげにも見える。後半は、フルート奏者が奏でる洋の旋律にあわせていける。桜はほんのりピンク色に染まったように、ちょっぴり陽気で明るい表情に変わる。同じ桜なのに、音楽が違うだけで見え方が変わってくるのがおもしろい。京都の寺院に身を置くと、私たちの五感は、一層研ぎすまされるのかもしれない。

 

 夏の京都は、実に多くの音に彩られている。カランコロンと三和土(たたき)を踏む下駄、門掃きの竹箒(たけぼうき)、神社の雅楽や寺院の声明(しょうみょう)、パチパチと音をたてて燃え上がる松明(たいまつ)……。こうした雑多な音が重なりあって、日々の暮らしを形成している。少々騒がしすぎるきらいもあるが、音がない風景なんて、想像するだけでも薄っぺらで味気ない感じがする。

 音のある風景の代表は、祭りだ。7月の声を聞くと、京の街には祇園祭の鉦(かね)の音が響きわたる。祭事が1か月にわたる祇園祭のハイライトは、17日の山鉾(やまほこ)巡行。正五位少将の位を授かった長刀鉾稚児(なぎなたほこちご)が四条通に張られた注連縄(しめなわ)を太刀で切り、巡行がスタートする。都大路に一列に並ぶ絢爛豪華な山鉾の姿は、まさに京の夏の風物詩である。

 私は小学校5年生の時に、この長刀鉾稚児を務め、翌年から囃子方(はやしかた)となった。入ったばかりの小中学生は鉦方。鯨の髭の先に、鹿の角を付けたバチで鉦を叩く。コンチキチンと聞こえるのはこの鉦の音だ。最近では、鯨の髭が手に入りにくく、グラスファイバー製。父親ゆずりの鯨の髭のバチを持っているのはちょっとした自慢である。約10年間鉦を勉強した後、太鼓か笛のいずれかへ進む。囃子は各山鉾によって異なり、曲目は各々30曲以上もある。

 この季節、京都の家々にはヒオウギの花が飾られる。桧扇(ヒオウギ)は、黄色い花を咲かせるアヤメの仲間。大きく広がる葉の姿が、桧の薄板で作った扇に似ているところからこの名がつけられたのだが、末広がりでめでたく涼感を呼ぶものとして、祇園祭には欠かせない花とされている。数本のヒオウギを向かい合わせていけるのは、降り注ぐ日の光に向かって伸びていく成長力のあらわれ。力強く葉を広げた桧扇は、家の隅々にまで祇園祭の熱気を充満させる。

 祭りはそこに住まう人々のアイデンティティー。軒先に飾られたヒオウギと宵空を流れる祇園囃子の鉦の音は、いずれも不思議と懐かしく、郷愁をかきたてる。

 

 秋。京都の紅葉の美しさは格別だ。青から黄、紅へと移りゆく微妙な色合いには、えも言われぬ趣がある。紅葉の魅力はとりどりの色彩を内に秘めた多様性だ。時間経過とともに移ろいゆく音を楽しむのが音楽だとすると、植物の命の移ろいをいつくしむのが、いけばなである。

 様々な人間によって構成される我々の社会は、紅葉に似ている。異なる音が和音を構成するように、年齢や嗜好の異なる人間同士が寄り添い、互いに支えあって成り立っている。いけばな教室はさながら、その縮図だ。幼い頃より祖父の稽古場に出入りしていた私を、流派の高弟の先生方は、子や孫のようにかわいがってくれ、折にふれ、いろんな話を聞かせてくれた。

 シベリア抑留中、同朋がパンを奪い合う過酷な現実の中で、ただ黙々と花をいけていた友の姿に感銘を受け、帰国後いけばなの道を志した先生。役目を終えた花材を処分するときは、半紙に包んで酒で供養し涙を流す先生。それぞれの先生の花への想いから、私は花との向き合い方を教わった。

 かつては、3世代、4世代が同じ屋根の下で暮らし、孫のしつけは忙しい親に代わって祖父母が担っていた。祖父母は、両親とはまた異なる価値観を示し、孫に人生の指針を与えてくれる貴重な存在だ。両親の言うことには反抗したくなるが、祖父母やその世代の教授者の話は、どこか懐かしく、なぜか素直に聞けた。広い世代の話を聞くことで、視野が広がり、人間としての厚みが増す。それは、自分の中に、移ろいを秘めるということなのかもしれない。

 

プロフィール

笹岡 隆甫

笹岡 隆甫(ささおか・りゅうほ)

華道「未生流笹岡」家元。1974年京都生まれ。3歳より祖父である二代家元笹岡勲甫の指導を受ける。1997年京都大学工学部建築学科卒業。2011年三代家元を継承。京都ノートルダム女子大学客員教授。近著に新潮新書『いけばな』。

 

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