「音を身体で感じる」という表現があるように、音は聴覚だけでなく、その波動を指先の神経まで届け、感覚を刺激してくれる。身体の細胞が一気に目覚めるその感覚が大好きだ。
「音」は私たちが持つ感情にシンクロし、想像力をより深く増し、視野を広げ、時には記憶を呼び起こし、精神をも安定させる不思議な力を持っている。
仕事柄、音の世界と常に向き合っていると、街の細かなノイズにも敏感に反応するようになる。一時期、旅に出るとヘッドホンとレコーダーを片手に、旅先の象徴的な場所に立つと、なにも考えずに録音ボタンを押したりしていた。雑踏には奥行きがある。通り過ぎる人々の会話や足音、遠くの看板取り付け工事の音、ドーム型の屋根がつくる到着列車アナウンスの反響音などが混ざり合う、いわゆるラジオ用語でいう「ガヤ」だ。なかでもミラノ中央駅のガヤは特に私にとって実にノスタルジックなノイズである。聴き直せば無意識に頭の中でその時観た光景を立体的に感じ取ってしまう。そしてそれは大げさに言うならば、一瞬にして時空を超えたテレポーテーションをも可能にしてくれるのだ。
絵画や写真を鑑賞している時も、なぜか作品から音が聴こえてくることがある。まるで作品に動きを与え、ストーリーを完成させるかのようにビートやメロディが脳裏に流れてくるから不思議だ。
芸術やデザインの分野でも音を新鮮な形で体感させてくれる作品が多くなっている。例えば、建築家ユニット「Tonkin Liu」が手掛けた作品。イギリスはランカシャー州の丘の上には、自然風力を活用し幻想的な音を生み出す『Singing Ringing Tree』と名付けられた彫刻が建つ。

Tonkin Liu『Singing Ringing Tree』(photo:©Mike Tonkin)
亜鉛メッキ鋼パイプがスパイラル状に高さ3メートルほどまで積み重ねられ、その時々の風とともにハーモニーを生み出し、コーラス音やパイプの大小でオクターブまで発声するよう設計されているのだ。何もない丘に建てられたミュージカル・スカルプチャーは、何を訴えているのだろうか?何もないという概念を取り除き、見えない風にテクスチャーを与え、さまざまな表情を見せる風の音が無限の想像力を与えてくれる。その場に立つ誰もが、彫刻が奏でる風の音に触れながら、より自然のエネルギーを体感し、その場所が記憶に鮮明に留(とど)まるのであろう。
ちなみに、この作品は現地メディアで21世紀の英国のランドマークとも称され、数多くの賞を受賞、ランドマークデザインの象徴になっている。まさに自然と人工物によって生まれる、心地よい音の世界。
大人の音楽体験といえば思い起こされるのは、数年前に東京・原美術館でも特別公演が行われたイタリアのピアニスト、チェーザレ・ピッコの『Blind Date』という題名のコンサート。約45分間のライブはピアノ1台の即興演奏。会場は外光が完全に遮断され、ピアノは1本のスポットライトのみで照らされる。演奏が始まると、ゆっくりと時間をかけて照明が落とされて行き、気がつけば、真っ暗闇の中で音の世界に吸い込まれて行く。隣に座っている人さえ見えなくなり、最初の5分は不安や居心地の悪さを実感する。慣れない状況に脳が軽いパニックを引き起こす感覚だ。
ただ、徐々に人間の本能が目覚めてくると、暗闇に慣れてきて不安な気持ちも消えさり、音楽に囲まれながら深い想像の世界に浸っていく。不思議と自分しかその場にいないような感覚。ピッコの旋律をすべての神経で感じながら、自分の内面と向き合い、忘れていた記憶が呼び起こされたり、未来を描いたりと、安らぎの気持ちを感じながら時空を旅するような感覚を味わった。体験することは人それぞれではあるが、会場にいる何百人と同時に心の旅を共有したことに感激する。

チェーザレ・ピッコの『Blind Date』コンサート