NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

音の記憶

 

風が吹く場所

川内 有緒

(ノンフィクション作家)

 

 家の近所で、カウンターだけの小さなワインバーを見つけた。ナチュラルワイン専門のお店で、薄暗い店内には、管楽器ひとつだけのジャズが低く流れている。家に帰る前に一杯だけ、と赤ワインを頼む。ささやき声のような演奏が、耳元にそっと触れてくる。ふと、管楽器って、英語で“wind instrument(風の楽器)”とかいうんだっけ、と思いだした。そうだった、人間の呼吸も立派な「風」なのだ。

 

 風、といえば中国の西域、いわゆるシルクロードを思い出す。私がライターとして初めて旅をした時のことで、10年以上も前のことだ。

 成田空港から敦煌(とんこう)に入り、あとは陸路でひたすら西へ、西へと進む。2週間で行けるところまで行こうというゆるやかな旅だった。

 最初の目的地は、敦煌。井上靖の小説のタイトルにもなっているその古都には、なんだか妙な縁がある。父が、まだ子どもの私に、「実はお前の名前は、敦煌にちなんで『とんこ』にしたかった」と告白したからだ。理由を聞く以前に、「とんこ」じゃなくてよかった!と安堵したものだ。その後、ライターとしての初仕事の地が奇しくも敦煌だったわけだが、ここで書きたいのは、その旅の道中で訪ねたタクラマカン砂漠のことである。

 

 タクラマカンとは、ウイグル語で「死」や「無限」を表す。つまり、入ったら二度と出られない死の砂漠のことだ。20世紀初頭に楼蘭(ろうらん)遺跡を発見した探検家のスヴェン・ヘディンも、一度はこの砂漠で命を落としかけた。

 しかし、それから約100年後のタクラマカンは、まるで様相が異なっていた。油田が次々と発見され、まっすぐな舗装道路が砂漠を貫く。だから私たちは、ラクダではなく車に水を積み、ピクニック気分で砂漠の道を滑るように進んでいた。

 車窓には茫洋(ぼうよう)とした砂丘が広がり、幾重もの風紋が波のような模様を作っている。長い間車を走らせても、砂山しか見るものがない。だから、車中の私たちはロックをガンガンにかけて盛り上がっていた。

 せっかくだから、と車を止めて砂漠に下りてみる。砂の上に一歩足を踏み出すと、あたりは強い風が吹いていた。

 その時だ。ひどく奇妙な感覚に襲われた。

 異様なくらいシンとしているのだ。全身に力強い風を感じているのに、世界は無音のまま静止している。突如として耳が壊れてしまったような感覚だ。

 はっとした。ここは、風を遮るものが何もない。高い木もなければ、建物もない。だから、風は音を立てない。唯一の例外は自分自身だった。圧倒的な「無」が支配する世界で、自分たちこそが唯一の生命体として、いま存在している。

 タクラマカン――。ようやくその言葉の孤独さを五感で理解した。しばらくすると、なんでもいいから音のある世界に帰りたいと思った。

 

 その6年後、今度はバングラデシュを旅していた。ベンガル地方に伝わる「バウル」と呼ばれる放浪の歌い手たちに出会うためだ。

 バウルは、既存の宗教や寺院、カーストに属さず、楽器ひとつを手に、村から村へと移動する。何百年も前から口頭で伝承されてきた歌の歌詞には、暗号のようにメッセージが組み込まれていると聞いていた。

 そのミステリアスな音楽を聴いてみたくなり、写真家の友人と旅に出た。しかし、放浪するバウルたちを見つけ出すのは、けっこう簡単ではなかった。私たちは電車や船を乗りついで、やみくもにさまよっていた。

 

バングラデシュ首都ダッカの喧騒 撮影:中川彰

バングラデシュ首都ダッカの喧騒 撮影:中川彰

 

 ある朝、ちょっとした気まぐれでラビンドラナート・タゴールの家に寄り道をすることにした。タゴールは、バングラデシュの国歌《黄金のバングラ》を作った偉大な詩人で、アジア初のノーベル賞受賞者である。

 近くだったので、自転車に荷台を連結しただけのリキシャを捕まえた。からりとした晴天の涼しい朝で、荷台に乗った私たちは、足をブラブラさせながら朝の風景を楽しんだ。

 《黄金のバングラ》は、こんなフレーズだ。

 

私の黄金のバングラ、私はあなたを愛する (中略)

母よ、晩秋、あなたの豊かに稔った稲田に私はどれほどの優しい微笑(ほほえみ)をみたことだろう

素晴らしい景色、木陰、愛情、慈しみ……

(『バウルの歌を探しに バングラデシュの喧騒に紛れ込んだ彷徨の記録』より)

 

 その言葉通り、あたりは緑の水田が続く。あぜ道に立ち並ぶ家の側では、ヤギがゆっくりと草を食んでいる。

 その時、果物のような甘い香りがふわりと漂ってきた。思わず周囲を見回したが、ただ風が吹いているだけだった。リキシャは、そよ風のカーテンをめくるように、ゆっくりと進み続けている。

 そうだ、風だ。風が、遠くから香りを運んできている。それだけではない。水田の稲穂はサワサワとそよめき、鶏は羽をバタつかせ、女性たちはかまどの火に風を送り込んでいる。気づけば、そこら中に優しい風が吹いていた。

 自転車をこぐリズミカルな音と、稲穂のざわめき、あらゆる農村の生活音が入り混じり、即興の交響曲が生まれている。その旋律はあまりに心地がよく、私はずっとこの風の中にいたいと願い続けた――。

 

ガンジス川の朝の風景 撮影:中川彰

ガンジス川の朝の風景 撮影:中川彰

 

 新たなお客さんが入ってきて、ワインバーは賑やかになってきた。管楽器のジャズはまだ静かに続いている。2つの旅を通じて、思う。風の音は、生の息吹そのものだ。生命の営みがないところでは、風は声をあげない。まるで、人の呼吸なしには音楽が生まれない管楽器みたいに。

 2杯目のワインを飲み終えると、私はバーを後にした。家では、夫と娘が待っていることだろう。そういえば、「バウル」という独特の響きの言葉は、「命の風」を意味するのだと後から知った。不思議な符号のように、私はあの旅で風を探していたのだ。

 さて、急いで帰らないと。私の風が吹く場所へ。

 

プロフィール

川内 有緒

川内 有緒(かわうち・ありお)

ノンフィクション作家。日本大学芸術学部、ジョージタウン大学修士課程終了。コンサルティング会社やシンクタンクに勤務し、中南米社会の研究を行う。その合間に南米やアジアの少数民族や辺境の地への旅の記録を、雑誌や機内誌に発表。フランス・パリの国際機関に5年半勤務したあと、フリーランスに。東京を拠点に旅を続け、書籍、コラムなどを執筆。著書に『パリでメシを食う。』、『パリの国連で夢を食う。』、第33回新田次郎文学賞を受賞した『バウルを探して~地球の片隅に伝わる秘密の歌~』がある。

 

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