NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

音の記憶

 

音がファッションにもたらすものは……

中野 香織

(服飾史家)

 

 人の印象をもっとも大きく左右する鍵は、必ずしも服装やヘアメイクにあるとはかぎりません。実際に会って話をしてみると、その人が発する「音」にあることがわかります。取材や仕事でルックスが「きれいな人」に会う機会には多少恵まれてきましたが、時を経て今なお鮮やかに印象を強く心に残しているのは、例外なく、発する音が美しい人でした。

 こちらに向かって歩いてくるときのヒールの音が、威圧的でもなく、早すぎるでもなく、確かな歩みの自信が感じられる軽快な音。座るとき、立ち上がるときにかすかに起きる、シルクのワンピースの衣ずれの音。ティーカップを静かにおいたときの、陶器がやさしく触れ合う音。趣味のいい万年筆のキャップを閉めるときの、小気味のいいカチリという音。ビニール傘ではなく、布張りの上質な傘をさしかけてもらったときの、弾むような親密な雨音。

 ましてや発する声が高すぎず低すぎず、潤いをたたえていて、ことばがマニュアル的ではない誠実さを感じさせるものであれば、その人の美しさは3倍増しに見えてきます。逆もまたありという例は、たとえば、映画『雨に唄えば』でも残酷に描かれていますよね。サイレントからトーキーへと映画に音声がつきはじめた頃の騒動を描いた傑作ですが、ルックスだけがよくてちやほやされていたサイレント映画の美人女優は、本当の声が明らかにされたとたん、笑いものになってしまいます。

 

 音が人のイメージを形づくる重要な要素であることはかように明らかです。であれば、それを逆手にとり、自分が発する音をコントロールすることによって、他人に与えるイメージのみならず、セルフイメージを作りかえることもできそうです。

 

 2014年の秋、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジで、「体の音を聞くプロジェクト」に携わるアナ・タジャデュラ・ジミネッツ博士のチームが、興味深い実験をしました。

 被験者は、ヘッドフォンが接続された特殊なサンダルをはき、歩きながら自分の足音を聞きます。ただし、研究チームは、被験者の耳に、実際よりも足音が軽く聞こえるように操作するのです。

 すると、被験者が自分自身にもつイメージが変わったという実験結果が出ました。「体が軽く感じられた」「スリムになったように感じた」「脚が長くなった気がした」「膝がやわらかくなった」など、自分自身のボディイメージがプラスに変わり、結果、幸福感が上昇したのだそうです。

 自分の足音がこんなにも軽やか、という(コントロールされた)情報を脳に送り込むだけで、セルフイメージが更新され、幸福度が増す。これを自己欺瞞(ぎまん)と呼ぶ人がいるかもしれません。でも、軽やかになった自分の足音を聞いて幸福感を感じることができれば、ストレスが減り、結果的に、ほんとうにスリムになっていくということも十分、予想できます。

 

 思えば、メイクアップや香水や装いなども、視覚や嗅覚の助けを借りて自分のイメージをごまかす、いえ、コントロールする手段になると言えなくもありません。脳は、インプットされた情報からセルフイメージを創り上げていきます。ヘアメイクを整え、お気に入りの服を着こなした自分の姿を鏡で確認してOKを出し、心地よく感じられる香水をまとって自分自身を心地よい存在と感じ、小道具の扱いや立ち居振る舞いに気遣いながら「美人」音を発して、意識的に脳に「こうありたい」情報をインプットしていく。そのようなセルフコントロールを積み重ねていくことで、自信と幸福感が養われ、時とともに理想像に近づいていくのかもしれません。

 ファッションとは、形づくること。五感、記憶、感情、知識、同時代の社会との調和感覚、そして夢やファンタジーを総動員し、人間像をデザインしていく作業でもあります。

 

 同じようにファッションは、時代を形づくるものでもあります。形づくる要素のなかには、音楽もあります。ある時代のファッションの感覚にできるだけ近づこうとすれば、その時代の音楽に耳を傾けてみる必要があります。

 男性でも長髪のかつらをかぶり、レースの襟をつけ、ハイヒールを履いて「権威」をまとった17世紀バロックの宮廷ファッションを考えるときには、ヘンデルやバッハ、ヴィヴァルディなどを聴きこんでみるとその装いの感覚が感じ取れるような気がするし、18世紀の繊細で軽快で官能的なロココのモードを見るときには、スカルラッティやモーツァルトを流すとその「気分」が伝わってきます。

 

カーモンテル『モーツァルトの家族』1763年

カーモンテル『モーツァルトの家族』1763年

アウグスト・マッケ『バレエ・リュス』1912年

アウグスト・マッケ『バレエ・リュス』1912年

 

 19世紀ヴィクトリア朝イギリスの社交界のリスペクタビリティ(上品ぶり)には、エルガーの《愛のあいさつ》がよく似合い、ヨーロッパの女性が数百年ぶりにコルセットをはずした1910年代が秘める内なる革命を表現しようとすれば、ストラヴィンスキーの《春の祭典》がふさわしい。1920年代のジャズエイジの華麗な退廃の気分は、ガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》が表しています。

 

 20世紀、それも後期に向かうにつれて、その関係はますます密となり、代表的な例だけを挙げても、50年代はフープスカートや革ジャン&リーゼントのBGMにエルヴィス・プレスリーをはじめとする元祖ロックンロール、60年代はミニスカートやモッズルックの気分を上げていったビートルズやローリング・ストーンズ。それ以降になると、音楽のカテゴリーそのものがファッションになっていきます。

 

《ロック・アラウンド・ザ・クロック》をテレビで歌うビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツ(1955年)

《ロック・アラウンド・ザ・クロック》をテレビで歌うビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツ(1955年)

 

 70年代のパンクやカントリー、80年代のディスコミュージックやテクノ、90年代のグランジ、……以降はもう細分化しすぎて列挙するのも追いつかず、21世紀にはそのようなカテゴリー化も意味をなさなくなるほど多様化し、それがいきすぎて、今はあえてファッションと音楽を結びつけないのがおしゃれという態度が見受けられるようになっています。

 現代のファッションショーでは、音楽は不可欠です。コレクションの「世界観」を表現するよう選び抜かれた音楽が、それどころか、時にわざわざそのために作曲された音楽が流れ、ショーを盛り上げます。しかし、モデルはまったく音楽など耳に入っていないかのように歩くということはよく知られています。明らかに音楽の影響を受けているのに、素知らぬ顔で歩く。そのほうが、リズムに合わせて歩くよりもクールに見えるんですね。

 

 自分自身を形づくる作業においても、音をコントロールしながらも、あたかもそれとは無関係であるかのようにふるまうほうがかっこいい。服を着ることをはじめとした諸々の行動においても、たとえ緻密に計算されたものであろうと、表面上は無頓着で自然に見えるのが、多くの人に心地よい美しさの印象を与える奥義(おうぎ)であることに気づかされます。

 

プロフィール

中野 香織

中野 香織(なかの・かおり)

エッセイスト、 服飾史家、明治大学特任教授。過去2000年の男女ファッション史から最新モード事情まで、幅広い視野から研究・執筆・レクチャーを行っている。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学、ケンブリッジ大学客員研究員を経て文筆業、2008年より明治大学国際日本学部特任教授。著書、翻訳書、新聞・雑誌・ウェブでの連載記事多数。

 

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