NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

マーラーの山荘暮らし

「夏の作曲家」は山の過ごし方をこころえていた

池内紀

マーラーの山荘暮らし

 

アルプスでの作曲

 自分では、「夏の作曲家」と称していた。皮肉屋のマーラーだから、人に言うときは、わざとらしく「夏」を強調したかもしれない。

 「夏だけの作曲家でしてね」

 春と秋と冬は眠っている。いや、雑事に忙しく、とても作曲に手がまわらない。

 半分は皮肉としても、半分は誇りをこめていただろう。プライドの高い人物によくあるケースで、まわり道をした言い方をする。指揮者としてスケジュールに追われ、たしかに作曲にあてるのは夏だけだが、しかし、余人にマネのできない作品を生み出していないか。「夏の作曲家」は、ひそかに永遠の夏を生きている――。

 オーストリア。アルプスのつらなる山岳地帯に、すでに30代のはじめ、作曲のための場所を定めていた。現在の行政区では上部オーストリア州アッター湖畔のシュタインバッハ。当時、マーラーはハンブルク市立歌劇場の第1指揮者だった。1893年の夏、休暇中の村で《交響曲第2番》のスケルツォとアダージョ、またいくつか歌曲を作曲。この年を皮きりに夏の休暇を作曲にあてるのを習わしにして、死の年までつづけた。

 

1892年ころのマーラー

1892年ころのマーラー

1899年ころのアルマ

1899年ころのアルマ

 

 

保養地の利点

 行政的には上部オーストリアだが、一般には「ザルツカンマーグート」の地方名で知られている。巨大なアルプス山系の一角にあって、2000メートルにちかい峰々がそびえ、湖がちらばっている。秋から冬にかけては深い霧と雪に覆われ、春は遅い。夏の訪れとともに、湖畔から山腹一帯が初々しい緑につつまれる。中心地バート・イシュルは「バート(温泉)」が頭につくとおり、保養地として有名で、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフがとくに好んで訪れ、「カイザー・ヴィラ(皇帝別邸)」をつくった。皇帝がくれば大公や大貴族、ブルジョワのお歴々もやってくる。夏になると、ウィーンからバート・イシュルへ帝都の名士たちが引っ越してきた。

 シュタインバッハはバート・イシュルの隣村にあたる。マーラーは20歳のとき、バート・ハルでオペレッタの指揮をして、指揮者としてデビューした。夏の保養地がいかなるところか、よく知っていた。バート・イシュルには音楽家たちもやってきて、ブラームスやレハールが滞在用のヴィラをかまえていた。シュタインバッハ滞在中にマーラーは、きっとブラームスを訪れた。「夏の作曲家」は夏の過ごし方をよくこころえていた。おりしもウィーン宮廷歌劇場の楽長を狙っていて、ブラームスの後ろ盾が必要だったし、バート・イシュルに引っ越してきた名士たちとのつながりも大切だ。事前運動のかいあって、1897年4月、念願のポストを手に入れ、10月には同劇場の芸術監督として劇場運営に関わる全権を掌中にした。37歳だった。2年後、ヴェルター湖畔のマイアーニヒに土地を買いこみ、別荘を建てた。バート・イシュルからは多少は遠くなったが、イシュル詣での必要がなくなったからには、そんなことはかまわない。

 

山荘での作曲のルール

 大作づくめの交響曲が、どのようにして短い夏のあいだに次々とできたのか? 才能の力だが、とともにマーラーが採った方法があずかっていた。ひと夏で新しい作品の作曲をして、次の夏に、それをオーケストレーションする。バトンタッチ式につづいていく。楽想そのものは春でも冬でもメモとしてつづれるのだ。指揮者、また芸術監督として果たさなくてはならない義務に苦しめられ、自分でも嘆いていたが、しかし、演奏会が楽しかったのはたしかだし、いかにして効果的に人を引きつけるかもよく承知していた。そして自作を自分で指揮できる。夏の休暇にいたるまでに、とどこおりなく下準備ができていた。ドイツ語には「ヒマがあると何もしない」という格言があるが、超多忙だったからこそマーラーは、超人的なまでの仕事ができた。

 若くて美しいアルマと結婚後も山荘のルールは少しも変えなかった。人里はなれた中で理想の静けさを生み出すため、若い妻は苦労した。牧夫の声や牛の鈴にもマーラーは苛立って苦情を述べたようだが、多少とも誇張されて後世に伝わったのではなかろうか。保養地の名士たちが休暇中にブクブク肥っていったなかで。マーラーは齡をとっても筋肉質で、小柄な、よく動く体をしていた。ザルツカンマーグートはハイキングや水泳やサイクリングのメッカであって、マーラーはもっとも早いころに夏のスポーツを実践した一人だった。彼には集中した作曲のあとのスポーツが、指揮台の上の激しい動きとひとしい意味をもっていたのではあるまいか。没頭し閉鎖しがちな気分を、ここちよく外に開いてくれる。

 ついでながら、画家クリムトはアッター湖畔に山荘を持ち、多くの風景画を描いた。ウィーンのアトリエでは、モデルの女たちに囲まれ、エロスをモチーフにした人が、星のように赤い実のちらばるリンゴの木を描いていた。美しいアルマとクリムトは、ただならぬ仲を噂された時期があった。風光明媚な夏の湖畔で、世紀末ウィーンの影をひいた芸術的寸劇が演じられていたわけである。

 

(いけうち・おさむ/ドイツ文学者・エッセイスト)

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2013年1月11日(金)7:00pm  2013年1月12日(土)3:00pm
第1745回定期公演Cプログラム NHKホール
マーラー/交響曲 第7番 ホ短調「夜の歌」
指揮:デーヴィッド・ジンマン

 

 

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