NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

「ジュリエッタ」という名の自動車

松本 葉

「ジュリエッタ」という名の自動車

 

アルフィスタって誰?

 フェラーリの好きな人はフェラリスタ、ランチア・ファンはランチスタ、アルファ・ロメオのフリークはアルフィスタ。イタリアでは彼らのことをこんなふうに呼ぶ。もちろん自ら名乗ることも一般的。私の周りには「ボクは生まれついてのアルフィスタ」と胸を張る人がたくさんいる。
フェラーリもランチアも、通称アルファと呼ばれるアルファ・ロメオもこの国が生み出した自動車メーカー。ランチアとアルファの誕生は1900年代に遡(さかのぼ)る。フェラーリ社誕生は戦後ながら、創設者のエンツォ・フェラーリは元々アルファのレーシングドライバーとして活躍した。“実家”を飛び出し、自らの名を冠したメーカーを設立。彼の製作したマシーンがF1レースで初めて自分を育てたアルファのそれを打ち破ったとき、彼はこう言って泣いた。

 

 「母を殺してしまった」

 

 なんて大袈裟(げさ)でドラマチックな台詞(せりふ)だろうかと感心するものの、エンツォは幼い頃からのオペラ好き。自伝にはしばしば両親に連れられ劇場に足を運んだ思い出が綴(つづ)られている。「オペラ歌手になりたかった」という記述もあって、実際とてもいい声を持っていたらしい。一度、舞台でこのフレーズを歌ってほしかったと思わずにはいられない。

 興味深いのはフェラリスタ、ランチスタ、アルフィスタ以外に、たとえばこの国の大衆の足であるフィアット・ブランドのファンにはかくたる呼び名のないこと。チンクエチェントというなんとも憎めないスタイリングの自動車をご存知の方も多いと思う。このクルマを製作したのはフィアット。しかしフィアット・ファンにもチンクエチェント好きにも呼び名はない。プライスや使い道がポピュラーな存在であることから“名なし”なのではないと思う。おそらくはその名前の音から来ているのではないか。フィアッティスタとは言いづらい。チンクエチェンティスタは無理がある。この国にも存在するポルシェ好きをポルシェイスタと呼ぶことがないのも同じ理由だろう。イタリア語は耳に届く音をとても大切にする言語。フランス語のリエゾン、繋(つな)がりや連続性を重んじるのとは異なり、イタリア語は一語の響きや組み合わせのそれを大切にする。私はこの国について記すとき、イタリア語のタイトルを付けようとしばしばあがくが、イタリア人にそれを読んでもらうと彼らはいつも顔をしかめてこんなふうに言う。

 

 「これは音の響きが悪いなぁ」

 

命名は音の響き第一

 自動車のネーミングにも同じことを感じる。ヨーロッパでもっとも売れた大衆車の1台であるフィアット・パンダ、これも絶妙な命名なら、次にデビューしたウーノもまたしかり。数字の「1(イチ)」を意味する。続いて後継車両となるクルマはプントと来た。英語のポイントにあたる「点」を意味するが、ウーノという単語の間延びした感じに対してプントのプは軽快だ。何より、イチと出してからフィアット社自らがピリオドを打ったようで楽しかった。

 車名の話で言えば私がもっとも好きなのは、しかし、断然ジュリエッタである。ロマンを感じる。響きの良さも抜群だと思う。アルファ・ロメオ社がこのクルマを生み出したのは1954年のこと。敗戦の痛手を日本以上に引きずり、社会復興のなかなか進まなかったこの国の人々は当時、小さなスポーツカーで日曜日にドライブに行く夢を持っていたのだという。それを叶(かな)えたのが“ちょっと無理をすれば買える”スポーツカー、ジュリエッタだった。これが大ヒット。ジュリエッタはイタリア人の恋人と言われたという。

 

アルファ・ロメオ社のジュリエッタ・スパイダー

アルファ・ロメオ社のジュリエッタ・スパイダー
photo by genossegerd / Wikipedia-cc BY-SA 3.0

 

 車名の由来はアルファ・ロメオのロメオとシェークスピアの作品(もちろん『ロメオとジュリエット』)を掛けたもの。オーナーはみなジュリエッタ(イタリア語ではこう言う)を愛するロメオの気持ちであったのだろうか。彼らはハッピーエンドを迎えたロメオだ、これは間違いない。

 ちなみにアルファ・ロメオのロメオは同社創設者のひとりの苗字である。ニコラ・ロメオという人物。彼の娘さんはジュリエッタというのだそうだ。つまりイタリアにはジュリエッタ・ロメオという姓名を持つ人がいるということになる。ステキだ。

 

快音が好きなイタリア人

 イタリア人の生活を見ていると食から音楽まで、サッカー、クルマ、アート、「得意」と「好き」のなんと多い国だろうかと圧倒される。レオナルド・ダ・ヴィンチもミケランジェロ・ブオナローティもアントニオ・ヴィヴァルディもジャコモ・プッチーニもイタリア人。フェデリコ・フェリーニも。自動車の世界には前述のエンツォはじめ、日本にスーパーカー・ブームを巻き起こしたマルチェロ・ガンディーニやジョルジェット・ジウジアーロといった多くの偉大なデザイナーがいる。経済はガタガタなのに文化やスポーツの分野はお得意。多くの天才を生み出している。特に世界的にクルマ離れと言われる現代社会にあっても、公道レースが社会の復興より先に再開された強靭(きょうじん)な歴史を誇る精神は今も健在。スピード好き、かっこよさ好きは、自動車が燃費のよさやエコといった実質で選ばれる時代を迎えても途絶えることはない。今でもみんなクルマ好きである。

 なかでも音楽と自動車、ふたつの共通点はまさにサウンドではないか。耳に届く心地よさは恐らく彼らにとって生きていることの証しなのだと思う。沈黙より喧騒(けんそう)、いや響きや快音を好むのが今も昔もイタリア人、そんな気がしている。

 



プロフィール

松本 葉(まつもと・よう)

コラムニスト。自動車雑誌『NAVI』編集部、「カーグラフィックTV」のキャスターをへて、1990年トリノに渡り、2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を行う。著書に『愛しのティーナ』、『踊るイタリア語 喋るイタリア人』、『私のトリノの物語』など、『タルガ フローリオの神話』の翻訳も手掛ける。

 

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2018年11月9日(金)7:00pm  2018年11月10日(土)3:00pm

第1897回定期公演Cプログラム NHKホール

ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調

プロコフィエフ/バレエ組曲「ロメオとジュリエット」(抜粋)

指揮:ジャナンドレア・ノセダ

ピアノ:アリス・紗良・オット

 

 

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