NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

フィンランド絵画にみる愛国心

テルヒ・ジェネヴリエ・タウスティ

フィンランド絵画にみる愛国心

 

 19世紀末のパリ。新たなインスピレーションと新技法を模索するフィンランドの若き画家たちは、当時もてはやされていた自然主義と戸外主義の洗礼を受け、さらには象徴主義絵画とも出会うこととなる。ポール・ゴーギャンを師と仰ぎ、野生への回帰あるいは日本の芸術への愛に、共につき従う者たちもいた。

 時まさに流行していた日本の浮世絵が表す“俯瞰の構図”、または“カケモノ(掛軸)”や“マキモノ(絵巻物)”の書法は、彼らを開眼させた。西洋の伝統的遠近法とは異なる視点で祖国フィンランドの風景を切り取り、彼らの絵画に新たな可能性をひらく新基軸を見出したのだった。日本の芸術は、19世紀末のフィンランド絵画にとりわけ大きな影響を与えたのである。

 フィンランドに戻るや、若き画家たちはパリで得た山ほどの経験と燃えたぎる情熱を胸に、民族のルーツを求め、野性と原始の自然への探求にとりかかる。彼らは、カレリア地方が理想の地であると考えるようになる。そこには原生林があり、1835年に初めて書物化された口承の民族的叙事詩『カレワラ』の神秘的な力が、そのまま生き続けていた。

 

アクセリ・ガレン・カレラ/書籍『大カレワラ』(原画)より

アクセリ・ガレン・カレラ/書籍『大カレワラ』(原画)より
第2章「斧で樫の巨木を切り倒し」水彩 52.5X66cm
Ⓒアクセリ・ガレン・カレラ美術館/Douglas Sivén

 

「神の木である樫の木が想像を絶するほどに大きくなり、
できたばかりの大地では、
世界が暗闇に包まれてしまった。
人も魚もとてつもなく困ることになった。
海からあらわれた小人によって樫の巨木は斧で切り倒され、
こうして大地に太陽の輝きと月の光が戻ってきた」

(『カレワラ』第2章75-224節より)

 

 1890年、カレリアを訪れた最初の画家はアクセリ・ガレン・カレラ(1865〜1931)であった(作曲家ジャン・シベリウスとは共に国民派を標榜した盟友でもあった)。そしてこの神話の地こそが、国民的絵画を生む力を宿す場所であると確信したのも彼であった。1892年、ガレン・カレラはパリの都と慌ただしい都会の生活とに訣別し、つましい母国の真の姿を見つめるため、千年変わらぬ風景を残す土地、カレリアに移住する。

 「からだ中、芯まで自然が染みこんでいる─それがフィンランド人らしさというものである。われらの民族詩が明らかにしているように」(アクセリ・ガレン・カレラ、1923年)

 

森の国、フィンランド

 「タピオラ」(シベリウスの楽曲で知られる名でもある)が意味するのは、古代、タピオ神の棲まうところ、または王国であり、フィンランドの国土の3分の2を占める森、安息と糧をもたらす聖なる土地である。1860年頃より森林の開拓が始まり、林業はこの国の主要産業となった。

 『クマゲラ』は、ガレン・カレラによる1893年の作品。日本の掛軸を思わせる縦の構図で、古来カレリア地方に伝わる伝統紋様に想を得た額に縁取られ、この画家が自然と強い絆で結ばれていることが感じられる傑作である。森がどこまでも広がり、遠くにパーナヤルヴィ湖が見えている。真紅の頭頂部ですぐに分かる黒いキツツキ、クマゲラが、枯れた松の木の切り株に止まっている。

 

アクセリ・ガレン・カレラ/『クマゲラ』1893年 グアッシュ 紙 145X90cm Ⓒアテネウム・フィンランド国立美術館

アクセリ・ガレン・カレラ/『クマゲラ』1893年 グアッシュ 紙 145X90cm
Ⓒアテネウム・フィンランド国立美術館

 

 「この真紅の色が意味するのは、おし黙る手つかずの森に響きわたる人間の生命の叫びである」(ガレン・カレラ、1923年)

 荒寥たる大自然の中で、孤高の鳥は、芸術家とその宿命を映すものだった。1809年、長年にわたりスウェーデン王国の支配下にあったフィンランドは、ロシア帝国下の自治大公国となるが、やがてフィンランドの歴史や豊かな神話の地に目が向き、自らのアイデンティティを主張するようになる。

 「われわれはもはやスウェーデン人ではない、ロシア人たることをよしともしない。そう、われらはフィンランド人となろう」(A.I.アルヴィドソン、1820年頃)

 

絵画が語る祖国への思い

 1892年7月、シベリウスの義兄エーロ・ヤルネフェルト(1863〜1937)も、フィンランド独自の風景を求めてカレリアへと旅立つ。彼にとって画家とは祖国に奉仕する者たちであり、芸術のミッションとは愛国心を高める作品を世に送り出すことに他ならなかった。ヤルネフェルトは、とりわけコリ山の風景にこだわるようになる。そこは神々への奉納がおこなわれる神聖なる山である。標高347メートル、太古の昔よりえんえん変わらぬ森と岩場に囲まれ、ピエリネン湖(ピエリスヤルヴィ湖)が望まれる。その風景は画家を飽きさせず、1892年から1934年にかけて、数百点もの風景画とデッサンが描かれた。コリ山は、フィンランドの“国の風景”となる。

 ヤルネフェルトのもっとも有名な作品である『ピエリスヤルヴィ湖の秋の風景』は、フィンランド大公国の自治権廃止を含むロシア化政策を宣言し、皇帝ニコライ2世によって1899年に署名された二月詔書の直後に制作されたものだ。絵巻物のような横長の構図によるこの絵では、厚い雲が東の方角より迫ってきており、雨を予感させる。雲はあたかも樹々をつかむ手のような形で描かれ、ロシアとその支配を示唆している。声にできなかったことを、絵に語らせたのだ。

 

エーロ・ヤルネフェルト/『ピエリスヤルヴィ湖の秋の風景』1899年 油彩 61X198

エーロ・ヤルネフェルト/『ピエリスヤルヴィ湖の秋の風景』1899年 油彩 61X198cm
Ⓒアテネウム・フィンランド国立美術館/Hannu Aaltonen

 

 もう一枚の『コリの風景』(1908年)は、暗雲に覆われ雪嵐さえもが見てとれるのだが、虹が現れ、遠くには青空が描かれている。雲の合間から注ぐ太陽の光が、岩肌ときらめく秋の色を浮きたたせている。1905年秋、ロシアが日露戦争に敗北し、同年10月に起きた動乱を経た今、空は希望として描かれている。

 

エーロ・ヤルネフェルト/『コリの風景』1908年 油彩 70.5X90cm Ⓒヨスタ・セルラキウス美術財団、マンッタ/Vesa Aaltonen 2013年

エーロ・ヤルネフェルト/『コリの風景』1908年 油彩 70.5X90cm
Ⓒヨスタ・セルラキウス美術財団、マンッタ/Vesa Aaltonen 2013年

 

 1892年夏より、ペッカ・ハロネン(1865〜1933)もまた、妻の出身地であるカレリアを描くようになる。彼はフィンランドで初の農民出身画家であった。

 ハロネンが1894年に描いた『ナナカマド』は、朱色の実をつける木で、邪悪なものから守ってくれる魔除けのお守りとして親しまれている。この作品では、屈することなく生命力に満ち溢れるフィンランドの民を象徴するかのように、険しい岩場の真っただ中からすっくと立つナナカマドの姿が描かれている。

 

ペッカ・ハロネン/『ナナカマドの木』1894年 油彩 95.5X65.5

ペッカ・ハロネン/『ナナカマドの木』1894年
油彩 95.5X65.5cm 個人蔵

 

 アクセリ・ガレン・カレラ、エーロ・ヤルネフェルト、ペッカ・ハロネンは、三人三様の手法で母国の美を見出し讃美して、絵画の力によってフィンランドを目覚めさせた立役者たちなのである。1917年12月6日、フィンランドは独立を宣言した。

 

タイトルで使用した写真:
「ジャン・シベリウス 自邸(アイノラ)の敷地内にて」
ヤルヴェンパー 1940〜1945年
Ⓒフィンランド写真美術館 / Santeri Levas



プロフィール

テルヒ・ジェネヴリエ・タウスティ(Terhi Génévrier-Tausti)

パリ生まれ。パリ・ソルボンヌ大学大学院修士課程修了。ACIB出版編集長、展覧会キュレーター (「アクセリ・ガレン・カレラ絵画展」、「イヴ・クライン、生きるがごとく」、「北欧祭 in ソウル」他)、アート・ジャーナリストとして活動。著書に『イヴ・クラインの飛行、その伝説の起源』他。 元在日フィンランド大使館一等書記官・文化担当官。瑞宝章勲三等。

 

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2018年9月21日(金)7:00pm  2018年9月22日(土)3:00pm

第1892回定期公演Cプログラム NHKホール

シベリウス/「レンミンケイネンの歌」作品31-1

シベリウス/「サンデルス」作品28

シベリウス/交響詩「フィンランディア」作品26(男声合唱付き)

シベリウス/「クレルヴォ」作品7*

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ソプラノ:ヨハンナ・ルサネン*

バリトン:ヴィッレ・ルサネン*

男声合唱:エストニア国立男声合唱団

 

 

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