NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

小さいけれど大きなことを

小さいけれど大きなことを

――1.5ミリのハチが支える熱帯雨林

中村桂子

 

生物の多様性

 生きものの特徴は何かと考えると、いろいろな切り口が見えますが、その1つに「多様性」があります。地球上にはさまざまな生きものがいる。身のまわりを見ても、チョウもアリもタンポポもスミレもと本当にいろいろな生きものがいます。最近ではテレビでアフリカや中南米の森の中の生きものの生態を見せてくれますので、驚くような色づかいのトリやカエルを眼にすることもあります。

 生きものに学名をつけ、分類を始めてから400年近く、今では125万種が知られています。これだけでもなんと多様なと思いますが、近年、これまで調べられていなかったところに眼が向き、この数は実際に生存する生きもののほんの一部でしかないことがわかってきました。調べが始まった場所の1つは熱帯雨林です。初めて調べたのは、ワシントンにあるスミソニアン博物館のアーウィンでした。1980年代、アマゾンの森に入って、70メートルもある1本の樹を下から燻(いぶ)し、落ちてきた昆虫を調べたところ、既知の種は4%だったのです。知らないものが96%とは驚きです。

 最近では、これまで生きものはいないだろうと思われていた深海にもさまざまな生きものが見つかっていますし、地底、海底にもバクテリアがいることがわかってきました。地球はあらゆる場所に生きものが暮らす、まさに「生命の星」なのです。未知の生きものはどのくらいいるのだろう……。知らないものの数を問うのもおかしな話ですが、さまざまな推定がなされています。近年、ハワイ大学が中心になって生物の分類階級に相関関係を見出し、そこからバクテリア以外の生物の種数は陸上で約650万種、海中で約220万種、合わせて870万種という数字を出しました。

 

昆虫たちの大きな仕事

 ところで、多様性の主役は昆虫です。理由は「小さいこと」。チョウはモンシロチョウ、ナミアゲハ、ムラサキシジミと1万7千種ほどいます。既知の種の70%以上が昆虫です。私たちの仲間である哺乳類は全部で4千種ほど、私たち人間は1種です(人間が1種というのはある意味とても大事なことです。たとえば、肌の色の違いは環境に適応して変わっただけのことで、生きものとしての本質は変わりません。現存の人類は、皆アフリカを故郷とする同じ仲間ということはDNA解析が明確に示しています)。1つの森でも小さな昆虫たちにとっては本当に多様な場所であり、ちょっと湿気が多いとか、日がよく当たるとか、少しの違いで異なる種が暮らすことになります。昆虫の次に種数の多いのは植物です。昆虫と植物はお互いを必要とする深い関係にあり、これが地球の生態系、つまり私たちが生きる場をつくっているのです。

 私たちの研究を1つ紹介します。多様性の宝庫である熱帯雨林の樹々はすべて花を咲かせる被子植物であり、昆虫と深い関わり合いを持っています。森には昆虫の他にも鳥や動物たちが暮らしており、その食べ物である果実が大事です。幸い熱帯雨林には1年中実をつけている樹があります。イチジクです(もちろん野生で、沖縄で見るガジュマルがこの仲間。私たちが食べるイチジクは品種改良したものです)。イチジクの実は花嚢(かのう)で、この中におしべとめしべがあります。これではチョウが花粉を運ぶわけにはいきません。

 そこで実の中へ入れる1.5ミリほどの小さなハチ、イチジクコバチがその役割をします。コバチは花嚢の中で産卵し子育てをします。親はそこで死にますが、中で生まれたメスコバチが外へ飛び出す時に花粉をつけていきます。この小さなハチは短時間で世代交代をしますので、イチジクはコバチのおかげでいつも実をつけ熱帯雨林の生きものたちを支えているわけです。

 

イチジクとイチジクコバチ(JT生命誌研究館提供)

イチジクとイチジクコバチ(JT生命誌研究館提供)

 

 ここで興味深いのが、ある種のイチジクに入るハチの種は決まっていること、しかも種として近いイチジクには種として近いハチが入ることです。お互いの関係を1対1としているのです。DNAを調べたところ数千万年以前からこの1対1関係を保ち続けていることがわかりました。

 あの大きな大きな熱帯雨林を思い描いてください。それをみごとな生態系として成立させている鍵の樹がイチジク、それを鍵にしているのが1.5 ミリのイチジクコバチなのです。このチビさんすごいとお思いになりませんか。

 熱帯雨林は、生物多様性を支える場であるだけでなく酸素製造の場でもあります。2015年はパリ協定が結ばれ、温暖化ガスである二酸化炭素の排出を抑えなければ自然災害の多い暮らしにくい地球になることが指摘されています。暮らしにくいどころか暮らせない地球になるかもしれないという予測さえあります。もちろん私たちの生活から無駄をなくす方向へと舵を切ることが重要ですが、チビさんたちがつくってくれている見事な生態系を大切にすることで、地球を暮らしやすくするという視点も必要でしょう。

 

ボルネオの熱帯雨林(JT生命誌研究館提供 撮影:横塚眞己人)

ボルネオの熱帯雨林(JT生命誌研究館提供 撮影:横塚眞己人)

 

 マーラーの《巨人》と聞いて反射的に小さなものたちのことを思い浮かべてしまったのは、少しヘソ曲りでしょうか。でも、生きものの研究をしていると、小さなものの中に大きな力を見つけることが多いのです。音楽にもそれがあるような気がします。



プロフィール

中村桂子(なかむら・けいこ)

JT生命誌研究館館長。1936年東京生まれ。東京大学理学部化学科卒業、東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了(理学博士)。国立予防衛生研究所、三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、JT生命誌研究館副館長を経て現在館長。東京大学先端科学技術研究センター客員教授、大阪大学連携大学院教授も歴任。著書は『ゲノムの見る夢――中村桂子対談集』『科学者が人間であること』など多数。

 

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2017年4月15日(土)6:00pm  2017年4月16日(日)3:00pm

第1858回定期公演Aプログラム NHKホール

アイネム/カプリッチョ 作品2(1943)

メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

マーラー/交響曲 第1番 ニ長調「巨人」

指揮:ファビオ・ルイージ

ヴァイオリン:ニコライ・ズナイダー

 

地球の生態系を支える生きものたちの大きな働きに思いをはせながら、マーラーの壮大な音楽世界を存分にお楽しみください。

 

 

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