NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

イギリス人がラジオを愛する理由

ピーター・バラカン

イギリス人がラジオを愛する理由

 

イギリスのラジオ事情は

 イギリス人はどういうわけかラジオをよく聴く人々だ。

 今でも毎週ラジオを聴く人はイギリスでは約90%もいる(2015年7月発行のBBC年次報告書より)。それにひきかえ、日本では1週間に5分以上ラジオを聴く人は37%に過ぎないという。

 また各ラジオ局の聴取人数調査によると上位3位までをBBCのラジオ局が占めており、1位が「BBCラジオ2」で、1週間あたりのべ1億5500万人のリスナーがいる。2位は「BBCラジオ4」の1億50万人、3位が「BBCラジオ1」で9900万人、4位は民放の「ハート・エクストラ(Heart Extra)」で9000万人だ(2016年3月発表のRAJAR=Radio Joint Audience Researchの調査報告より)。イギリス人の人口は約6470万人なのだから、週に何度も聴いている人がものすごく多いという計算になる。

 

 イギリス人がいったいなぜこれほどまでにいまだにラジオ好きなのか。私に言わせればそれは単純に面白い番組が多いからということになる。ロンドンに行くたびに私がよく聴くのは「BBCラジオ4」だ。いつも何かしら力の入ったドキュメンタリーや、ニュースを掘り下げた番組をやっており、聴き入ってしまうことが多い。予算をある程度付けて丹念に取材をしているのがうかがえる。

 

 また、ラジオ局の数も驚くほど多い。公共放送のBBCラジオだけでも10の全国放送チャンネルを持つ。民放については全国放送しているステーションだけでも20局以上、これにローカル局や地域限定のコミュニティー・ラジオ局、インターネット・ラジオを含めると優に100局を超えるだろう。日本に比べてイギリスは人口が半分ほどだということを考えると、各年齢層や細かい嗜好(しこう)に合わせた多様な放送をしているということになる。誰もがお気に入りのチャンネルや習慣的に毎週聴く番組を持っていてラジオを楽しんでいるわけだ。

 

イギリスのラジオの歴史

 そもそもイギリス人のラジオ好きは昔からで、家庭でラジオを聴く習慣があり、家や仕事場でラジオをつけっぱなしにしている人が多かった。私がイギリスにいたころ、ほとんどの家庭で『ラジオ・タイムズ(Radio Times)』という週刊誌をとっていた。1週間分のBBCラジオ番組表(後にテレビ番組表も掲載するようになった)を載せた雑誌で、なんと1923年に創刊された世界で初めての放送番組ガイド誌だ。もうインターネット化されて廃刊になっているだろうと予想したのだが、まだ現存していて83万部の発行部数がある(2014年)。

 

『ラジオ・タイムズ』2005年4/30-5/6号の表紙

『ラジオ・タイムズ』2005年4/30-5/6号の表紙

『ラジオ・タイムズ』1923年9/28創刊号

『ラジオ・タイムズ』1923年9/28創刊号

 私も当時は暇があるとこの雑誌を眺めては、今日の何時にこの番組を聴かなくては、とマル印を付けたものだった。当時よく聴いたのはお気に入りのDJがやっていた音楽番組。1970年代には伝説のDJと呼ばれた人物が何人もいた。私が最も好きだったのは、イギリス中に名を馳(は)せたジョン・ピール。もう1人、そんなに有名ではなかったけれどチャーリー・ギレットには心酔した。2人とも亡くなってしまった。チャーリーのスタイルはまさに私の好みで、当時のDJの流儀のちょっと大げさなしゃべり方ではなく、友達が普通に語りかけるような話し方。そして彼が紹介する音楽はどんぴしゃりと私の好みに重なった。てらいなく自然に友達が話しかけてきて、音楽を勧めてくれるような。そう、実は、いつか自分もラジオの番組を持ってみたい、こんな風に話してみたい、と私に夢を与えてくれた人こそ彼なのだ。

 

歴史を変えたのは

 しかし、その少し前の1967年まではイギリスには民放はなく、BBCラジオのたった3局しかなかったのだ。1960年代半ばの若者が夢中になって聴いていたのは、海賊ラジオ局だった。イギリスの放送法の規定を逃れるために、国際海域の沿岸沖に停泊した船上から海賊放送を行っていた船上ラジオ局が10局もあった。イギリスの音楽家組合は、ラジオでレコードをかけていいのは1日に数時間のみ許可をしていた。レコードをかければかけるほどミュージシャンが演奏する仕事が奪われてしまうからという理屈で、音楽家組合がBBCに対して規制を敷いていたのだ。ところが海賊ラジオはそんな規定など守らずに、レコードをガンガン1日中かけ、DJ達もBBCのお堅いアナウンサーとは全然違う、冗談まじりのノリノリの軽いスタイルで、最新のヒット曲やまだヒットしていない曲を次々とかける。まだ誰も知らなかったジミー・ヘンドリックスやピンク・フロイドの曲をかけて、ヒット曲を生みだし、海賊ラジオ放送は若者の心を完全に捉える社会現象となった。まさに私の青春はそのひとつの「ラジオ・ロンドン(Radio London)」とともにあった。毎日、自室でラジオをかけっぱなしにして、昼間は人気DJたち、深夜はよりマニアックなジョン・ピールがかけるロックやソウル・ミュージックなどに聴き入っていた。

 

晩年のジョン・ピール。1967年から 2004年に亡くなるまでの37年間ラジオDJとして活躍した。

晩年のジョン・ピール。1967年から 2004年に亡くなるまでの37年間ラジオDJとして活躍した。

 

 不法放送に業を煮やしたイギリス政府は取り締まりを強化し、1967年、1局を除いて船上放送局を閉鎖させた。その翌月には、BBCは船上放送局の多くの人気DJやスタッフも引き抜いて雇用し、新しい若者向け放送を始めた。これが「ラジオ1」の誕生だ。そして、もともとあった「ライト・プログラム(Light Programme)」を「ラジオ2」、「サード・プログラム(Third Programme)」を「ラジオ3」、「ホーム・サービス(Home Service)」を「ラジオ4」に呼称変更し、現在のBBCラジオの原型ができあがったのだ。そして放送法も改定されて、民放が誕生することになる。

 映画『パイレーツ・ロック』ではその頃の海賊ラジオ局とイギリス政府との攻防が描かれている。ラジオが若者文化を生み、歴史を変えた。

 

海賊ラジオ局のひとつ「ラジオ・キャロライン・サウス(Radio Caroline South)」 (1964-1968)のあったMVミ・アミーゴ号

海賊ラジオ局のひとつ「ラジオ・キャロライン・サウス(Radio Caroline South)」 (1964-1968)のあったMVミ・アミーゴ号

 

言葉を伝えるメディアとしての役割

 そんな歴史を経て、今の多様性を大事にするラジオ文化があるのだろう。そしてまた、イギリス人が言葉を大事にする国民性を持つことも反映しているかもしれない。例えばこんなエピソードがある。サッチャー政権時代のフォークランド紛争の時、政府は「我が軍」という言葉を使うように強要したにもかかわらず、BBCは徹底して「イギリス軍」という言葉で報道を行った。これはイギリス人なら誰もが知っている有名なエピソードだ。イギリス人は民主主義国家であることに誇りを持っているので、放送やメディアというものは、けっしてナショナリズムに走ってはいけない、権力者の行き過ぎがないことを確認するための番犬(watch dog)の役割を果たすべきだという意識がイギリス人には強固にある。

 同じメディアでも、テレビは受動的でいられる媒体だと思う。ボーッとしていても目も耳も情報を受け取ってしまうわけだから。ラジオは聴くことに集中する媒体になりうる。ラジオの好きな人というのは能動的に番組に関わって聴いている人々だろう。

 ラジオ好きということからは、言葉に耳を傾け、能動的でいるのを好み、多様性を大事にするイギリス人の姿が浮かび上がってくるだろうか。



プロフィール

ピーター・バラカン

1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在「バラカン・ビート」(InterFM897)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(TOKYO FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。著書に『ラジオのこちら側』他。

 

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2016年11月9日(水)7:00pm  2016年11月10日(木)7:00pm

第1847回定期公演Bプログラム サントリーホール

モーツァルト/クラリネット協奏曲 イ長調 K.622

グレツキ/交響曲 第3番 作品36「悲歌のシンフォニー」*

指揮:デーヴィッド・ジンマン

クラリネット:マルティン・フレスト

ソプラノ:ヨアンナ・コショウスカ*

 

グレツキ《悲歌のシンフォニー》にはイギリスのラジオ局がかけたことから再評価されたエピソードがあります。ラジオの力で多くの人の心を動かした名曲をお楽しみください。

 

 

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