NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

サロメとイギリス文学の妖女たち

南條竹則

サロメとイギリス文学の妖女たち

 

命取りな花

 薔薇(ばら)の色は血の色だ、とローマの詩人フロールスは言ったが、それは棘(とげ)が刺すからである。

 薔薇の棘に刺されたくらいで人はなかなか死なないけれど(もっとも、詩人のリルケは死んだ)、人の言葉を解する花に手を出すと、危ない場合がある。そういうのをフランス語で「ファム・ファタール」という。「命取りな女」という意味である。

 

 19世紀の初めから世紀末にかけて、この種の女性がフランス、ドイツ、イギリス、イタリアといったヨーロッパ諸国の文学作品に次々とあらわれた。

 これは文学史上顕著な現象で、それについて論じた書物もいろいろあるけれど、英文学における例を少しばかり挙げてみると、たとえば、19世紀初めの詩人ジョン・キーツに『無情の美女』という物語詩がある。

 この詩の主人公は青ざめた騎士だ。

 彼は野原で美しい乙女と出会い、愛し合ったのだが、じつは、その乙女は「無情の美女」と呼ばれる妖精で、これまで大勢の王侯や騎士を虜(とりこ)にし、滅ぼしてきたのだった。

 くだんの騎士も彼女に魅入られて憔悴(しょうすい)し、湖のほとりを独りさまよいながら、死を待っている。

 

 キーツよりもやや世代が上のサミュエル・テイラー・コールリッジが書いた『クリスタベル』という詩には、ジェラルディーンという妖女が登場する。

 舞台は中世の館である。クリスタベルというその館のお姫様が、森で木に縛られた美女を助ける。ジェラルディーンというその女はじつは魔性の物で、クリスタベルに魔法をかけ、館に禍(わざわ)いをもたらそうとする。

 この詩は未完で、多くは暗示されるだけに終わるのだが、それでも十分戦慄(せんりつ)をもよおさせる傑作である。

 夜更けに館に連れて来られたジェラルディーンは、その夜、クリスタベルと同じ寝床で寝るが、床に入る前に衣を脱ぎ捨て、美しい(あるいはおぞましい——どちらとも受けとれるように書いてある)裸身をあらわにする場面など、異様なエロティシズムにあふれている。このジェラルディーンは「ファム・ファタール」の中でも同性を魅惑する点が異色で、のちの小説家シェリダン・レ・ファニュが生み出した女吸血鬼カーミラの原型と言って良い。

 

19世紀のファム・ファタール

 世紀半ばに至ると、詩人であり画家でもあったダンテ・ガブリエル・ロセッティが、命取りな女たちを詩と絵に描く。

 

ダンテ・ガブリエル・ロセッティ『レディ・リリス』(1868年)

ダンテ・ガブリエル・ロセッティ『レディ・リリス』(1868年)

 

 『エデンの園』という詩の主人公は、ユダヤの古伝説に登場するアダムの最初の妻リリスである。リリスは美しい女の形をしているが、アダムの肋骨(ろっこつ)からつくられたエヴァとはちがい、人間の血は一滴も流れていない。彼女は自分を裏切ったアダムに復讐(ふくしゅう)するため、蛇の姿に化けてエヴァを誘惑し、禁断の知恵の木の実を食べさせる。

 

 一方、『ヘレン姉さん』という詩は呪殺の話だ。

 ヘレンという女が自分を裏切った男に蠟(ろう)人形で呪いをかける。男は婚礼のその日から病気になり、人形を火に溶かして、いよいよ満願成就という時、男の親や新妻が命乞いにやって来るが、ヘレンは聞く耳を持たない。「人を呪わば穴二つ」で、自分も男ももろともに(そして語り手の幼い弟も)地獄へ堕(お)ちるさだめなのだが、そんなことは構いやせぬ。げに恨みの一念はおそろしい。

 

サロメは月の女神?

 オスカー・ワイルドの生み出したサロメは、こうした「ファム・ファタール」の系譜に連なり、19世紀末のイギリス文学を代表する妖女だといってよい。

 「ファム・ファタール」にもいろいろなタイプがある。

 ギリシア神話の魔女キルケーや泉鏡花の『高野聖』のヒロインなどは、成熟した妖艶な女性で、まあキルケー型と言って良い。

 これに対し、アルテミス型とでも言うべき女たちがいる。

 月の女神アルテミスは純潔で誇り高く、自分の尊厳を犯した男を冷酷に罰する。

 

『サロメ』へのビアズリーによる挿画(1894年)

『サロメ』へのビアズリーによる挿画(1894年)

 

 ワイルドのサロメはこちらのタイプで、わがままだが純粋な乙女である。ヘロデ王に向かってあくまでも預言者ヨカナーンの首を要求するのは、子どもが駄々をこねているようでもある。「今宵(こよい)の月は死んだ女のようだ」という台詞は有名だが、この劇が冒頭から月を語る言葉に満ちているのも、けっして偶然ではない。

 かつて三島由紀夫がワイルドの『サロメ』を上演した時、台本に使ったのは学匠詩人・日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)の翻訳だった。

 日夏は原文を正確に読んで解釈した結果、主人公サロメは「風にもたへぬ処女」であり、「白鳩のごとき麗容」を持ち、「可憐(かれん)なる未通女の美にかがやいて」いなければならないと考えていた。

 今の女優さんなら誰だろうか。



プロフィール

南條竹則(なんじょう・たけのり)

1958年東京生まれ。作家、翻訳家。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。学習院大学、東京外国語大学非常勤講師。1993年、『酒仙』で第5回「日本ファンタジーノベル大賞」優秀賞を受賞。著書に『満漢全席』『あくび猫』『猫城』『吾輩は猫画家である』。訳書に『木曜日だった男』『ガブガブの本』『エリア随筆』など多数。

 

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2015年12月4日(金)7:00pm  2015年12月6日(日)3:00pm

第1823回定期公演Aプログラム NHKホール

R.シュトラウス/楽劇「サロメ」(演奏会形式)

指揮:シャルル・デュトワ

ヘロデ:キム・ベグリー

ヘロディアス:ジェーン・ヘンシェル

サロメ:グン・ブリット・バークミン

ヨカナーン:エギルス・シリンス ほか

 

 

N響ライブラリー