NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

建築史から読む作曲家の家

リムスキー・コルサコフの住宅とその時代

三宅理一

建築史から読む作曲家の家

 

サンクトペテルブルクの街並み

 建築関係の学術会議が開かれるということでサンクトペテルブルクでの講演を頼まれ、この街を12月に訪れた。夏が白夜に近くなる分、冬のこの時期は明るい時間帯は本当に短い。ロシアにはよく足を運ぶものの、サンクトペテルブルクは実に25年ぶりであった。ソ連時代とは違って街が派手やかとなり、他のヨーロッパの国々と較べても遜色(そんしょく)がない。特に女性たちの冬のコート姿がファッショナブルで、背景の重厚な街並みと溶け合って北国ならではの美しさを醸し出している。

 

 宿泊したホテルから歩いて5分ほどのところにリムスキー・コルサコフが晩年を過ごした住宅があるというので訪れてみた。表通りにはそのような建物が見当たらないため、入口をよく眺めてみると、一度中庭に入るようにと扉に小さく記されている。事実、中庭に到ると、その中央に独立した5階建ての住棟が眼に入り、それがめざす建物であった。

 現在は往年の住まいをそのまま残したかたちで博物館となり、家具やピアノなどが昔のままに置かれている。贅(ぜい)を尽くした貴族の館とは違って、むしろ抑制された芸術家の屋敷といった方が良いだろうか。パリやベルリンの住まい方とあまり変わらないが、ペチカがあるのがいかにもロシアらしい。1970年代に市立の博物館としてオープンしたというから、ソ連時代から貴重な芸術遺産として保護されてきたようだ。

 

リムスキー・コルサコフの住居外観*

リムスキー・コルサコフの住居外観*

 

リムスキー・コルサコフの住居

 建築史を専門としていると、建築物のおおよその建築時期はおのずとわかるもので、この住宅については19世紀後半のものであることが、建物のボリュームや装飾の仕方からわかる。

 面白いのは表と裏の対比である。表通り側の建物がファサードの装飾にことのほか力を入れているのに対して、中庭側の立面は往来の人の眼にさらされるわけではないので、装飾は窓周りに限り、全体として地味なデザインで抑えている。その分、内装には凝り、木をふんだんに使ってゆったりとした室内をつくり上げている。中庭に囲まれているので静かな環境が保証され、夏になれば周囲の緑を堪能(たんのう)できることもあって、音楽家にとっては騒音を気にすることなく創作に集中することができそうだ。

 

リムスキー・コルサコフの住居内部、書斎*

リムスキー・コルサコフの住居内部、書斎*

 

 この建物が位置するザゴロドニー大通リは、当初、市境とされてきたフォンタンカ運河の南側にあたり、今日では繁華街として賑わっている。

 1703年に新首都として建設が始まったサンクトペテルブルクの歴史に照らしてみると、街の発展は短い期間に急速に進んでおり、運河の南側は18世紀後半には人口が集中するようになった。ただ、この通りに関する限りは、19世紀後半になって都市開発が一気に加速したことが現在の建築物の建築年代から理解できる。

 内政の矛盾を抱えているとはいえ、当時の帝政ロシアの国力は相当のもので、首都に住む上流階級はこぞって宅地開発や再開発に投資し、市内の建造物を新たなデザインで一新した。欧州各地と通じる建設ブームがこの街を襲い、実際に人口も19世紀後半の半世紀で3倍に増加した。

 

リムスキー・コルサコフを取り巻く建築家の人脈

 リムスキー・コルサコフがムソルグスキーらと「五人組」と呼ばれるロシア復興派のグループをかたちづくって活動していたのは、まさにこの時期である。

 彼らと深い関係にあるのが建築家ヴィクトル・ハルトマンであリ、ムソルグスキーが彼の絵画作品を主題として《展覧会の絵》を作曲したことはよく知られているが、それ以上に関わりのあった建築家というと、芸術アカデミーでハルトマンの後輩にあたるマキシミリアン・メスマッハーではないだろうか。

 彼は1900年を迎える頃には大建築家としてロシアを代表する立場に立つが、若い頃から芸術好きのウォロンツォワ・ダシュコワ伯爵夫人に誘われて夫人の所有する郊外パルゴロヴォの広大な庭園に足繁く通っていた。この地は若手芸術家たちのコロニーとなっており、そこで新進気鋭の音楽家たちと親交を結ぶことになる。

 リムスキー・コルサコフがピアニストのナジェージダ・プルゴリトと結婚式を挙げたのもこの庭園であれば、メスマッハーが自身の別荘「黄色のダーチャ」を建て夏の住処(すみか)としたのもこの地である。映画好きの人間であれば、フランスの人気女優アンヌ・ヴィアゼムスキーがこの伯爵夫人の曾孫(そうそん)にあたるというと、ピンと来るかもしれない。今では伝説となっているゴダールの映画『中国女』の主人公こそ、当時パリ大学ナンテール校の学生であった彼女である。

 

実業家スティーグリッツ創設のサンクトペテルブルク国立工芸アカデミー内部*

実業家スティーグリッツ創設のサンクトペテルブルク国立工芸アカデミー内部*

 

 メスマッハーは、名前からもわかる通り、ドイツ系のロシア人であり、1870年代半ばから新設の工芸アカデミーの教授に招かれ、遂にはその学長となった。同アカデミーの創設者であるアレクサンドル・スティーグリッツと親しいこともあったようだが、何よりもその実力が認められてのことだろう。彼はこのアカデミーの中心を占める工芸美術館も設計しており、19世紀後半のロシアを代表する重厚できらびやかなネオ・バロック建築を世に送り出した。

 偶然ではあるが、私の講演場所もこのアカデミーだったので、その縁で、この貴重な建築遺産の隅々まで見学させてもらうことができた。リムスキー・コルサコフを取り巻く人脈は、単なる個人的な関係ではなく、この時代の厚く裾野の広い芸術家群とその愛好家たちに支えられていたといってもよさそうだ。

 

*写真はすべて筆者撮影

(みやけ・りいち/建築史、遺産学)

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2015年4月17日(金)7:00pm  2015年4月18日(土)3:00pm

第1806回定期公演Cプログラム NHKホール

ラフマニノフ/ヴォカリーズ

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35

指揮:ウラディーミル・フェドセーエフ

ピアノ:アンナ・ヴィニツカヤ

 

 

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