NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

楽員インタビュー

山内俊輔

山内俊輔

チェロ

やまのうち・しゅんすけ

長野県出身。10歳よりチェロを始める。桐朋学園大学卒業。1999年、文化庁芸術家在外研修員として渡独し、ミュンヘン音楽大学教授ワルター・ノータス氏に師事。これまでに、チェロを故徳永兼一郎、室内楽を徳永二男、山口裕之、毛利伯郎、練木繁夫の各氏に師事。また、ダニエル・シャフラン、ミシェル・シュトラウス、イゴール・オイストラフ各氏のマスタークラスを受講。1994年1月1日入団。チェロ奏者。現在オーケストラを中心に、クァルテット・リゾナンツァなどのメンバーとして、室内楽でも活躍している。

 

伝統もしっかり伝えていきたい

華恵

チェロとの出会いはどのように?

 

山内

アマチュアでヴァイオリンを弾く母が2、3歳ころにヴァイオリンを習わせたらしいんですが1年ちょっとくらいでやめたらしいです。まったく覚えていません。それからしばらく何も音楽は習わずにいました。

 

華恵

長野県のご出身ですね。

 

山内

長野市です。ヴァイオリンで有名な土地柄ですが、小学生になってから、以前の先生の音楽教室での合奏でチェロが足りないから、と誘われて始めたのがチェロとの出会いです。

 

華恵

その時はすんなりと受け入れたのですか?

 

山内

あまり覚えていないのですが、チェロを習うことになった先生がセミプロのマジシャンで、その手品が楽しみで毎週通っていました。中学校では弦楽アンサンブルみたいな部活があって、やはりチェロで呼ばれて入部したのですが、当時は譜読みが苦手で、その部活もすぐにやめてしまいました。

 

華恵

どのあたりからチェロが好きになったのですか?

 

山内

中学生のころに長野の先生だけじゃなくて、N響の元首席の徳永兼一郎さんに就くことになって、月に1回程度東京にレッスンで通い始めました。厳しい先生でしたからそのレッスンに備えて必死で練習していましたね。

 

華恵

1人で弾くことが好きなタイプでしたか?

 

山内

1人はつまらなかったですね。ソリストになりたいと思ったことはありません。でも、まだその頃は合奏の楽しさを知らなかった。アンサンブルの楽しさが本当に分かったのは、N響に入ってからかもしれません。

 

華恵

アンサンブルのどこに一番楽しさを感じますか?

 

山内

周りに仲間がいて、アンテナを張って周囲の空気を読み取っていく感じ。今みんながどっちの方向に向かっているだろうかと予測しながら弾く楽しさ。それでみんなの気持ちがガーッとひとつになっていい演奏ができた時の達成感と満足感。もちろんお客様のために弾いているのですけど、自分の演奏によって自分自身がある意味快感を覚えるような瞬間というのがあるんです。それが醍醐味です。

 

華恵

それは、コミュニケーションと言っていいものなんでしょうか?

 

山内

合奏はコミュニケーションですね。徳永先生も「言葉は人を傷つけることがあるけれど、音楽で自分を表現する分には人を傷つけることはないから思いきり発揮すればいい」とよくおっしゃっていました。演奏は、自分の感情をぶつけてコミュニケーションできる手段ですね。

 

華恵

N響に入団されたのは1994年ですね。

 

山内

ちょうど20年。20年もやってきたのかという反面、あっという間だったなとも思いますね。

 

華恵

変化は感じておられますか?

 

山内

僕が入団した当時は、怖い先輩たちがまだまだいらして、何しろ厳しい職場でした。演奏に対してはもちろん厳しかったですが、職場の雰囲気もストイックで。練習場に向かう途中、心臓の鼓動が早くなって息苦しくなったほど。当時、僕は最年少で、僕の後に同世代がなかなか入ってこなかったんです。10年以上ずっと、チェロ・セクションでは一番年下だったのでなおさらでした。

 

華恵

長く先輩方から学ばれたんですね。

 

山内

多くのことを教えてもらった、いえ、叩き込まれたという表現のほうがいいかもしれませんね。弓をスピッカートに跳ばす弾き方と、横に寝かせる弾き方とあるのですが、ブラームスの時はこう、モーツァルトってのはこうやって弾くもんだ、こういう音形の時は弓のここを使って弾くんだ、と逐一厳しく言われたものですよ。弓を動かすスピードや、使う部分や使い方によって、音色はまったく違ってきます。そういうオーケストラの音色を作る基本に当たることを、今は僕が教える番ですね。でもチェロ・セクションは今でもちゃんと統率が取れていると思います。

 

華恵

先輩の方と若い奏者との間の緩和剤的な存在でもおありなのでは?

 

山内

僕の周りにいる人に言いたい場合に、直接ではなく僕に向かって言ったりということもあります。長年一緒にやっていればその意図は十分に分かるので、その役割を果たしたいですね。

 

 

華恵

今後はどのような音楽を目指していらっしゃいますか?

 

山内

N響に入って20年、定年まであと20年ないとしたらもう折り返し地点を過ぎている。室内楽も楽しいですが、基本はやっぱりN響のオーケストラ・プレイヤー。これが大事なこと。師匠が愛していたオーケストラですし、N響のチェロ奏者として恥ずかしくないように過ごしていければと思います。

 

華恵

20年のなかで忘れられないN響の演奏会はありますか?

 

山内

スヴェトラーノフさんが指揮したチャイコフスキーの《第5番》のシンフォニー。まさにロシアの巨匠。あの境地の人物になるともう指揮をしなくていいくらいだとわかりました。最後のほうは手を下ろしたまま仁王立ちで、トランペットのための合図に眉毛をピクッと動かすだけで、オーケストラ全体を動かしてしまうんです。忘れられない演奏でしたね。弾いていて鳥肌が立ちました。サヴァリッシュさん、シュタインさん、ブロムシュテットさんは怖かったですね。先輩に「シュタイン先生は全員の顔を覚えているから、目が合ったら絶対目をそらしちゃダメだ」って忠告されて、暗譜していきました。案の定、目が合って、怖くなってそらせなくなって、ずっと目が合ったまま弾いたのを覚えています。

 

華恵

貴重な時代ですね。

 

山内

すごく厳しかった時代の名残がまだある頃のN響ですね。

 

華恵

その時代から時を経て、これからN響はどういう方向に行くのでしょうか?

 

山内

今は世代交代の過渡期で、若い人たちが入って5年経ったくらい。若い人はみんな昔より上手く、一人ひとりの能力は大きく上がっています。10年後、オーケストラとしても素晴らしくなるでしょうね。ただ、受け継いでいくべきオーケストラ独特のスタイルというのもあると思うんです。古い時代の厳しさも知る世代として、伝統も伝えていければと思います。

 

華恵

余裕ができるとどのように過ごされていますか?

 

山内

もうのんびりしていますね。ボーッとしています。のんびり砂浜や防波堤から投げ釣りをして、釣れても釣れなくてもいいんです。ずっと海を見てぼんやりしているのが好きです。

 

写真撮影 ― 藤本史昭

2014年1月取材 ※記事の内容およびプロフィールは取材当時のものです。

 

N響ライブラリー

華恵

聞き手

華恵

はなえ

1991年アメリカ生まれ。6歳から日本に住む。2003年、12歳で『小学生日記』を刊行し、エッセイストとしてデビュー。NHK BSプレミアム「世界遺産~一万年の叙事詩~」でのナビゲーター、連載エッセイなど、幅広く活躍中。2014年、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。