岩槻
いつも貴公子の佇まいの神田さん。今日はいろいろ質問してその素顔に迫りたいと思います。
まず、好きな本のジャンルは?
神田
ノンフィクションだけ、と言ってもいいと思います。工学や歴史に関するものが多くを占めています。今は、若田光一さんの話題から宇宙関連の本に興味が集中しています。でも、一時期、村上春樹も読みました。
岩槻
フルート以外の趣味は?
神田
物を作るのが好きです。
岩槻
どのようなものを?
神田
家とか……大きなものですと。
岩槻
まさか、住む“家”ですか?ご自分でトンカンなさってですか?
神田
友人が嬬恋村に別荘を持っていて、庭に6畳のログハウスを建てました。近くの林から木を切り出し、ほぼ水平に床も敷けました。1年半〜2年かかりましたが、切ったりくっつけたりしてなにかを創り上げるのは好きです。
岩槻
学校でも教え、フルート・アンサンブルや編曲、日本フルート協会理事、アジア・フルート連盟常任理事、2007年には修士号を取得されるなど本当にお忙しくて、趣味の時間はなかなか取れないのでは?
神田
作りかけになっているプラモデルもありますし、買い込んだままのものもたくさんあります。
岩槻
N響の練習日には朝早くいらっしゃるのですか?
神田
7時には高輪に着いています。道路が混む前に家を出ますので。
岩槻
今まででいちばん感動したことは?
神田
N響に来る大指揮者たち——スヴェトラーノフ、サヴァリッシュ、ブーレーズ——のもとでの演奏です。プライヴェートには、子どもが生まれたことです。1人めはとまどい、2人めは上の子といっしょに分娩室に入り、自分の分身が生まれてくる不思議な感覚と出会いました。
岩槻
どういう指揮者が好きですか?
神田
“これ”というものを持っていながら、それを押しつけることなく、われわれに“感じさせる”指揮者です。私たちにも“これ”というものはありますので、その指揮者が指揮台に立っている間は好きにならないと、個々の持っているものと指揮者の持っているものとが溶け合って良い方向に向かいません。その点、スヴェトラーノフは最も好きな指揮者でした。素敵な方でした。最初にN響にいらした時、私はまだ学生でエキストラとして参加しました。練習から最後の本番まであっという間に時が過ぎ去ってしまいました。たまにしかいらっしゃいませんでしたが、私たちも歓迎していましたし、来日の折には得意中の得意の作品を携えていらっしゃり、とりわけロシアの作品には有無を言わさぬ圧倒感がありました。ロシアのオーケストラとはよく喧嘩していたと聞きますが、N響には文句らしいことはなにもおっしゃらない方でした。
岩槻
「N響アワー」で、スヴェトラーノフ指揮のチャイコフスキー《幻想序曲「ロメオとジュリエット」》を聴きましたが、この演奏には私も本当に感動しました(1999年2月の定期)。
神田
首席になったばかりの頃でした。実はうまく吹けなかったのです。スヴェトラーノフに「あなたは大きく吹きすぎます」と言われ、小さく吹こうと思ってもなかなか難しく、納得できる演奏ができませんでした。スヴェトラーノフ先生、シュタイン先生、サヴァリッシュ先生からは、本当にさまざまなことを教わりました。
岩槻
ステージでは待ちの間じっと下を向かれているようですが、いろんなことを考えていらっしゃるのですか?
神田
本番中はあまり考えていません、すぐ次の瞬間が来ますので。練習中は、分析と反省と対策に追われています。
岩槻
フルートとの出会いは?
神田
小学校3年のクリスマスでした。クラリネットが吹きたくて楽器屋さんに行ったのですが、クラリネットは意外に重くて、音も出ないし、値段も少し高かった。フルートは音が出ましたので、フルートを買ったのです。
岩槻
それからフルート一筋……
神田
最初に巡り合った先生が「立派な社会人になりなさい」という、バランス感覚に優れた素晴らしい師でした。高校入学後、一時期やめて、ロックバンドでドラムを叩いたりしていました。でも音楽家になりたい、音大で勉強したいと思い、藝大教授の金昌国先生の電話番号を調べて押しかけたんです、とってくれないだろうなぁとは思いながら。それから、受験のためにピアノを『バイエル』から始めたという状況でした。いま音大で教えるようになって、僕と似たような人がやって来ると、「やめておきなさい」とはなかなか言えませんね、厳しい世界だとわかってはいても自分のことを振り返ると。
岩槻
聞けば聞くほど神田さんの意外な一面どころか多面性が見えてきますね!スーパーマンがより近く感じられるようになりました。ありがとうございました。
写真撮影 ― 堀田正矩
「フィルハーモニー」2009年5月号掲載 ※記事の内容及びプロフィールは取材当時のものです。