NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

楽員インタビュー

桑田 歩

桑田 歩

チェロ

くわた・あゆむ

茨城県出身。東京音楽大学を経て、ウィーン市立音楽院留学。帰国後、群馬交響楽団および新星日本交響楽団(現東京フィルハーモニー交響楽団)首席を務めたのち、1999年1月1日N響入団。フォアシュピーラー・(次席奏者)。第10回霧島国際音楽祭特別賞、第68回日本音楽コンクール作曲部門の演奏で「委員会特別賞」受賞。師に、堀了介、ヨンチョ・バイロフ、ダニール・シャフラン、リッカルド・ブレンゴラ(室内楽)各氏。N響チェロ・セクションのメンバーで結成されたチェロ四重奏団「ラ・クァルティーナ」でも活躍。

 

岩槻

桑田さんは、3歳からヴァイオリンをお父様の音楽教室で始められ、8歳でチェロに転向なさったそうですね。構え方・持ち方はお父様から?

 

桑田

ええ。父は、チェロもピアノも教えていましたし、楽器を直すこともできる人です。しかし、音階練習から入らず、レコードを聴いて弾きたくなった曲をなんとなく弾いていましたので、中学まではいわば独学に近い形で、ちゃんと基礎を習ったのは中学からです。
しかし、僕の音楽的基礎には、父が指導していた弦楽合奏団での経験が息づいており、アンサンブルの楽しさに傾倒し、今、オーケストラで奏でている下地になっています。僕は高校から音楽高校に入りましたが、ソリストになりたい人がほとんどだったのに比べ、すでに中学生の時分からオケに入ることが僕の望みでした。コンクールを受けに行くより、いろんなオーケストラの演奏会を聴きに行く方に一生懸命になっていました。そのなかにはもちろんN響もありました。

 

岩槻

小さい頃からレコードなどもよくお聴きになられていたのですか?

 

桑田

今でもレコードは蒐集しています。ジョージ・セルの録音は小学校5年生のときから集めていますので、大体持っています。クリーヴランド管弦楽団との未発売ライヴ音源も、かなり手元にあります。師であるダニール・シャフランもレコード時代のものから揃っています。

 

岩槻

初めてお聴きになった日本のオーケストラは?

 

桑田

N響でした。6、7歳の頃、外山雄三さん指揮、アイザック・スターンがソリストでした。
N響の演奏会には忘れ難い名演が多く、中学2年生のときに聴いた、キリル・コンドラシン指揮でのプロコフィエフ《交響曲第5番》(1980年1月定期Bプロ)、イーゴリ・マルケヴィチの振ったチャイコフスキー《交響曲第6番「悲愴」》(1983年1月定期Bプロ)——この後マエストロは帰国され3月に亡くなられてしまいましたが——、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮下のブルックナー《交響曲第8番》(1984年3月定期Aプロ)、ヴァーツラフ・ノイマンが登場したマーラー《交響曲第3番》——津堅さんのソロがとにかく素晴らしかった——(1984年12月定期Bプロ)等々、いまだ鮮明に蘇ってきます。

 

岩槻

本物を聴いた感動は奥深い感銘を残したのでしょうね。

 

桑田

親に感謝しています。毎年、外来オーケストラも小学生時分から1つか2つ、聴きに連れて行ってくれましたので、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、エフゲニー・ムラヴィンスキー率いるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団(当時)、ゲオルク・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団の初来日公演も、小学生の時に聴くことができました。

 

岩槻

ところで、桑田さんは最初、群響の首席から出発なさっていますね。

 

桑田

僕の夢は地方オーケストラの首席チェリストになることでした。地方の特色あるオーケストラに興味を抱き面白みを感じていましたし、何よりのんびり暮らしたかった……。

 

岩槻

群響では5年、首席を務められていたわけですから、まさに望みを叶えることのできた人生ですねぇ。

 

桑田

なんですが、たった1度きりの人生、ど真ん中に行くのもいいかな、と思ったんですね(笑)。オーケストラを仕事とした人間にとって、N響はやはり憧れの存在です。周辺から眺めているうちに、チャンスがあったら、そのど真ん中に行くのも人生かなと思い、だんだんと東京に近寄り、次に新星日響(現東京フィル)に、そして10年前N響に到ったわけです。

 

岩槻

群響時代、いろいろなオーケストラに客演首席奏者として出向いていらっしゃいますね?

 

桑田

それは、オーケストラには首席が空席になることが時折あって、というか結構あって、そういう場合には、どこかのオケの首席を呼びます。新日本フィルハーモニー管弦楽団、東京都交響楽団etc.貴重な経験でした。

 

岩槻

今でも、いろいろなオーケストラを聴きにいらっしゃることは多いのですか?

 

桑田

なるべく行くようにしています。日本の他のオーケストラが底上げしてきていることを感じます。N響も頑張らないとと、自覚を新たにしています。

 

岩槻

逆にN響も、他から注目されているのでしょうね。

 

桑田

「N響アワー」って、ですからプロのオーケストラの方々がすごく見ているのではないかと思うのです。僕も他団に居るとき、録画して、何か迷ったときなど参考にしていましたから。たとえばボーイングをつけるときとか。徳永兼一郎先生や木越さんはこうなさっているんだって。

 

岩槻

フォアシュピーラー(Vorspieler)とはどのような役割なのですか?

 

桑田

直訳すれば前の方の席、実際の席次では首席の次の席になります。首席は果たさなければならない役目が多いので、セクション全員に意図を伝えきれない部分があればその補佐役として伝えたりと、トゥッティの潤滑油的まとめ役と言えるでしょうか。

 

岩槻

他団の首席経験が生きているのでしょうね。

 

桑田

それはどうでしょう。オーケストラ文化には楽団それぞれのものがありますし。でも、“両側”から見たことが少しでも役に立てれば本当に嬉しいことです。

 

岩槻

N響は素晴らしい指揮者も数多く来ますが、印象深い方は?

 

桑田

スヴェトラーノフとの練習は忘れられません(2000年9月定期Bプロ)。スヴェトラーノフが振ると、みんなで1つところを目指していくという大きな空間に包まれてしまいます。午前中のラフマニノフ交響曲第2番》の練習でしたが、第3楽章をただ通しただけ。余計なことはほとんどおっしゃらないし、通したあと、ふつうどこかを弾き返すのですが、みんなその音楽に感動して席を立てないぐらい……。時の刻みを忘れてしまいそうな瞬間でした。

 

岩槻

胸に滲みるお話ですねぇ……

 

桑田

めったにありませんけど(笑)。

 

岩槻

いくつもの感銘深いお話、ありがとうございました。

 

 

写真撮影 ― 堀田正矩
「フィルハーモニー」2009年11月号掲載 ※記事の内容及びプロフィールは取材当時のものです。

 

N響ライブラリー

岩槻里子

聞き手

岩槻里子

いわつき・さとこ

NHKアナウンサー。愛知県出身。津田塾大学卒業、上智大学大学院博士前期課程修了。1998年NHK入局。2007年6月~2008年3月までメインキャスターを務めた「お元気ですか日本列島」では気さくな人柄が人気を呼んだ。2008年7月から「COOL JAPAN―発掘!かっこいいニッポン」のナレーションを担当。2008年4月から2011年3月まで「N響アワー」に出演。趣味はヴァイオリン。