NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

楽員インタビュー

岩井雅音

岩井雅音

チェロ

いわい・まさと

長野県出身。桐朋女子高等学校(男女共学)を経て、1974年東京交響楽団入団、翌年首席就任。1979年7月1日N響入団。師に、青木十良、レーヌ・フラショー、ヤーノシュ・リュープナー各氏。

 

髙橋

みやびなお名前はご両親がつけられたのですか?

 

岩井

祖父がつけたそうです。

 

髙橋

チェロとはどのように出会われたのですか?ご両親がクラシック・ファンなのですか?

 

岩井

父が趣味でチェロを弾いていました。チェロだけではなく、ヴァイオリン、オルガンなどいろいろな楽器に触らせてくれました。チェロに触れたのは、確か東京オリンピックの年で、小学校4年生でした……。小学校の卒業文集に「チェロ弾きになる」って書いたような気がします。

 

髙橋

チェロのどこに惹かれたのでしょう?

 

岩井

本当は、汽車に乗って遠くに行けることがすごく嬉しかったんです。父の背中に背負われて、3歳ぐらいから東京の青木十良先生のお宅に出入りしていましたが、5年生からレッスンを始め、中学になったら1人でレッスンに通い、小諸の駅から汽車で信越線に乗って赤羽に行き、池袋から新宿、下高井戸へと向かったのですが、それが楽しくてしょうがなかった。

 

髙橋

中学生にしたら大旅行ですよね。

 

岩井

お昼12時頃のレッスンのために、朝6時台のディーゼルに中込から乗り、家に帰るのは夜8時過ぎ。たぶん片道5時間くらいだったと思います。

 

髙橋

岩井さんにとってのチェロの魅力とは何なのでしょう?

 

岩井

弦楽四重奏においては、音楽の主導権はヴァイオリンではなく、チェロに大きな力があると考えています。音楽を意のままに操り、流れに大きな影響を与えるのはチェロのパート。ヴァイオリンが引っ張っている如くに見えますが、旋律は、チェロの上に乗っているもの(?)。チェロ弾きだけがそう思っているだけかもしれませんけどね(笑)。

 

髙橋

オーケストラでは?

 

岩井

オケも同様、一致団結したチェロほど音楽を動かせるものはないでしょう。これも、チェロ弾きだけがそう思っているのかもしれませんが。でもやはり、大きい音のする楽器には太刀打ちできませんけどね。

 

髙橋

まず東京交響楽団に入団なさったんですね。

 

岩井

あのね、勉強が嫌いで、高校を中退しました。チェロには高校中退組が多いんですよ。それで親が怒って、田舎に帰って坊主になれと。しばらく佐久にいたところ、指揮者の堤俊作さんが「東響で仕事しない?」と声をかけてくれました。当時東響はたいへんな時期だったのですが、経営体制が替わった際に前・楽団長の金山茂人さんに勧められて入団しました。

 

髙橋

翌年首席になられたと。

 

岩井

当時首席は2人で、もう1人は僕より2回り上の巳年の松下修也さんだったのですが、教鞭をとられていたこともあり、お忙しくて退団されました。そんな折、1回り上の巳年の徳永兼一郎さんが、東響のアメリカ・ツアーにエキストラ首席で参加してくださって、ずっと隣で弾かせていただいていた時「N響受けてみない?」と誘ってくださったのです。

 

髙橋

間もなく入団30年を迎えられますが、入団当時の感慨が蘇ることはありますか?

 

岩井

えらいところに来ちゃったなと、思いましたよ。

 

髙橋

えっ、恐かったとか?

 

岩井

ああ、それは今よりも遙かに恐かったことは確かです。挨拶が満足にできていないと、たとえばツアー先などで「岩井君、□号室に来なさい」とか呼び出されちゃって(笑)。今だとイジメと捉えられるかもしれませんが、タテ社会のケジメの洗礼でした。今は先輩同輩後輩区別なく「ウーっす」と声を掛けられていますが(笑)。そういう面で「えらいところ」と言ったのではなく、最初の練習の精度の高さのことです。N響での初めての仕事は確かサヴァリッシュ指揮のブリテン《戦争レクイエム》でした。最初の練習で一糸乱れず最後まで通ってしまう。外国から初めてN響に来た指揮者もたいてい驚きましたね。もっと完成度の低いところからスタートすれば、練習が進むにつれて「うまくなってきた!」と感じるし、指揮者の方も「俺の力も大したものだ」と満足するんでしょうが(笑)。サヴァリッシュ先生なんか事情がよく分かっていらっしゃるので、プログラムによっては練習は1日で充分とおっしゃったりすることもあるほどです。

 

髙橋

今後、今以上のレヴェルを築くには?

 

岩井

ヨーロッパとはちがい、クラシック音楽の歴史も浅いですし、また、ほとんど日本人だけの構成ですし、変化を経験するには難しい面がたくさんあると思います。N響の基礎となる「新交響楽団」が1926年に結成されてから2006年には80年を迎えたわけですが、今まで急激に上りつめて来てさらに上昇するために、それではなにをすべきなのか。たとえばサヴァリッシュ先生のようにオケを指導し、牽引してくれる指揮者がやはり、望まれるところなのではないでしょうか。変わらぬ貪欲さを保つことも、難しいことですし。

 

髙橋

レヴェルの面でも、2007年問題のような世代的な面でも、いま転換期なのですね。

 

岩井

確かに、これからどこへ行くのだろうという時に差し掛かっていると思います。

 

髙橋

ところで、室内楽も活発になさっていらっしゃいますね。演奏家としてだけではなく、中心的存在として活動なさることも多いとうかがいます。

 

岩井

N響本体のスケジュール以外のコンサートです。企画の段階から参加し、費用の見積もりを立て、メンバーを集めることなど、オケの事務的な仕事全部を1人でしたことも何度かあります。最大95人のフルオケの仕事までやりました。演奏家にはそういうマネージメント的な仕事は苦手な方が多いですから。でもね、地方に行くと僕たちの演奏を喜んでくださるたくさんの方に出会えるのです。地方の方は、どうすればN響メンバーによる演奏会を開けるか、手立てをご存知ない方が多い。メンバーの方も、地方の方との交流にもっと努力を傾けるべきだと感じています。多くの方の笑顔に出会える喜びは、なににも代えがたいものです。

 

髙橋

私もいつもN響の演奏から幸せをもらっています。きょうはありがとうございました。

 

写真撮影 ― 堀田正矩
「フィルハーモニー」2008年6月号掲載 ※記事の内容及びプロフィールは取材当時のものです。

 

N響ライブラリー

髙橋美鈴

聞き手

髙橋美鈴

たかはし・みすず

NHKアナウンサー。北海道出身。東京大学卒業。1994年NHK入局。「美の壺」「日本の伝統芸能」等や、「探検ロマン世界遺産」リポーターとしても活躍。