NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

楽員インタビュー

吉川武典

吉川武典

トロンボーン

よしかわ・たけのり

香川県出身。東京藝術大学卒業。在学中、新日本フィルハーモニー交響楽団に入団。1988年、第5回日本管打楽器コンクール・トロンボーン部門第1位、及びコンクール大賞を受賞。1996~1997年、文化庁海外派遣芸術家在外研修員としてドイツ・ベルリン市へ留学。2013年度、香川県文化芸術選奨受賞。これまでに伊藤清 、ウォルフラム・アルントの各氏に師事。1992年4月1日入団。トロンボーン・クァルテット・ジパング、トウキョウブラスシンフォニー、N-craftsのメンバー。東邦音楽大学特任准教授、高松第一高等学校音楽科中央講師として、後進の指導にもあたっている。

 

震災への思いと共に音楽人生はあります

華恵

ブログを拝見しましたが、充実の内容に驚きました。

 

吉川

もう止められなくなっちゃって。ネタ帳もあるんですけど、お酒を飲んでいる時に面白いとメモしたことなどは結局使えないですね。ですから日々何か言葉を絞り出しています。

 

華恵

トロンボーンとの出会いは中学校の吹奏楽部ですか?

 

吉川

新入生勧誘を見に行ったら《宇宙戦艦ヤマト》の迫力の演奏にビックリして圧倒されました。とても自分にできることじゃないと思ったのですが、音楽室に入ったら出口に怖い先輩達がいて出られない仕組みで仮入部してしまいました。クラリネットを渡されて1週間試して過ごしていたら、仮入部期間が終わった時にトロンボーンが余ってしまった。それで先輩達が話し合って「こいつを」とトロンボーンに売られて行ったんですよ。

 

華恵

どういうところが決め手だったんでしょう?

 

吉川

身体が大きくて手が長かったからです。トロンボーンを渡されてプッと吹いた時に「クラリネットより面白いな」と思ったのを覚えています。幸いにも最初から音が出たんですよ。音色が面白いと思ったことと、ポジションを7つだけ覚えればいいと先輩から言われて。これが不幸の始まりでしたね。その7つに苦しめられる人生になるとは思わなかったです。

 

華恵

その難しさとはどんなことですか?

 

吉川

木管楽器は指の組み合わせを覚えてそれで 1つ1つの音を出していくのですが、トロンボーンは7つしかポジションがないのに、その1つのポジションでいろんな音域の音を出さなければいけない。結構な距離を動かさなきゃいけないし、音程や音色の微調整も難しい。ということを誰かが言ってくれればトロンボーンを引き受けなかったのに。ただグリッサンドができる、「パオワオ~」ってこんなふざけたことができる楽しい楽器はこれしかない、とは思いますが。

 

華恵

中学、高校でトロンボーンに熱中したきっかけはどんなことでしたか?

 

吉川

運がよく、師に恵まれました。中学の吹奏楽部の先生、高校に行って出会った音楽科の先生方。思い返してみても非常に音楽的な方々でした。情熱を持っていてマニアックなところもあり、生徒が音楽を続けることに関して大らかで。普通の中学、高校だったので受験があるのですが、音楽のクラブ活動に生徒がのめり込むことに価値を感じて応援してくれました。本物のプロの教育者でした。その人達から掛けてもらった言葉が、僕の人生に大きく影響しましたね。

 

 

華恵

その後、N響に入ってからご苦労はありましたか?

 

吉川

入団して最初の半年は、質の高い演奏に囲まれてただただ楽しかったんです。あるときその質の高さは自分自身が当事者として維持するものだと気づいてプレッシャーを感じておじけづきました。それまで演奏法に関して我流なところがあったので、このN響という説得力のあるスキルを持った音楽家集団の中で、我流の技術では通用しないと感じて、音を出すことが怖くなったんです。数年間もの間、試行錯誤に苦しみました。

 

華恵

ドイツへの留学で変化はありましたか?

 

吉川

ベルリン・フィル首席のウォルフラム・アルント先生に就き、基礎トレーニングをていねいに一緒にやってくださったことで解決できました。どうして基礎ばかりやっているんだろうと考えていくうちに、それがものすごく奥深いトレーニングだと気づきました。技術的にも精神的にも救われました。

 

華恵

留学先から日本の環境に戻った時、ドイツで感じたものを維持できるものですか?

 

吉川

完全に元に戻ってしまうわけではなく、その1年間の中で培ったものとか頭の中で作られたイメージとか、何か確実に残るものもありますね。僕にとっては何より精神状態が変われたことが大きかった。留学前はA面で留学後はB面というくらいにガラリと。N響で吹くのが怖くなってビクビクしながら吹いていた時は、 頭の中でN響という存在が大きく膨れていたんです。自分で自分を押し潰してしまうような状態だったのが、留学で解き放たれて、自分は自分のやるべきことをきちんとやって自分の人生を生きて、そしてN響のメンバーとして音楽に奉仕しようという意識に変わることができました。

 

華恵

今後、演奏家として目指していることはありますか?

 

吉川

東北の震災が僕の人生観に大きく影響しました。過去には第二次世界大戦や関東大震災がありましたが、自分の人生の中にはそんなことは起こらないと思いこんでいたのに、悲劇は起きてしまった。それを自分の人生で背負って生きるべきだと思えて、きちんと最後まで復興を見届けなければという思いです。また音楽と向き合う意味も考え直すきっかけになりました。被災地の慰霊祭で震災のために書かれた曲を演奏した時、音楽を演奏する意味を深く考えました。この体験からヨーロッパの人にとっての、例えばショスタコーヴィチや宗教音楽には深い意味合いがあるのかもしれないと。

 

華恵

曲の当事者に思いを寄せるということでしょうか。

 

吉川

人生には悲劇や不幸がある、また幸せがある。そのために作品が生まれる。それらのレクイエムや祝祭の作品には、音楽が素晴らしいから演奏するということだけではなく、人間にとっての根源的な思いを共有する意味合いがあると。N響が定期公演で取り上げる曲にもそういう意味合いがあるかもしれない。震災の前には一切考えなかったことです。ですから、僕の残りの“オケマン”人生は、震災への思いとずっと共にあると思っています。

 

写真撮影 ― 藤本史昭

2014年5月取材 ※記事の内容およびプロフィールは取材当時のものです。

 

N響ライブラリー

華恵

聞き手

華恵

はなえ

1991年アメリカ生まれ。6歳から日本に住む。2003年、12歳で『小学生日記』を刊行し、エッセイストとしてデビュー。NHK BSプレミアム「世界遺産~一万年の叙事詩~」でのナビゲーター、連載エッセイなど、幅広く活躍中。2014年、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。