NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

N響が贈る芳醇なひととき

クラシック音楽の王座に座る男

 小学校の音楽室、小さな穴だらけの壁に掛かっていた作曲家の肖像画といえば、バッハ、モーツァルト、そしてベートーヴェンが定番。その中でベートーヴェンだけが夜中に動く、という「学校の怪談」もあった気がします。なるほど、モジャモジャの髪の毛に鋭い眼光のベートーヴェンの容貌は、そんな怪談を思わず信じてしまいそうな、ちょっと「コワい」雰囲気をまとっていました。実際、ベートーヴェンという人は、作曲を始めると他のことが一切目に入らなくなる、典型的な「音楽オンリーの人」だったようです。そんな彼のキャラクターは、彼の残した作品がクラシック音楽全体の中でも特別な位置を占めていることと強く結びついています。

 

クラシック音楽の金字塔

 ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770~1827)が残した9曲の交響曲は、交響曲というジャンルにおける巨大な峰、いわば「金字塔」という評価を受けています。後輩にあたるブラームスは、自らが交響曲を作曲するにあたって「ベートーヴェンに9曲の傑作があるのに、その上どのような新しい作品が必要なのだろうか」と悩んだ、といわれており、ベートーヴェンの9曲が後の時代の人々にどれほど大きな影響を与えているのかがわかります。9曲のうち、《第1番》と《第2番》は、古典派交響曲のスタイルを忠実に守っており、ハイドン、モーツァルトに次ぐ「古典派作曲家」としての側面を強く感じさせるもの。しかし、交響曲におけるベートーヴェンの革新は、《第3番「英雄」》ではっきりと感じることができます。

 この曲が書き始められたのは1803年。これは、いわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた翌年にあたります。難聴がだんだん悪化し自殺を考える中で書かれたこの「遺書」には、同時に、芸術家としての使命を全うするために病気を克服したいという思いが綴られており、その後ベートーヴェンはその言葉通り、この苦悩を乗り越え新しいステージを切り拓いていくことになるのです。「遺書」以降のベートーヴェンの作品には、人生における大きな障害と、それと闘った末に獲得する勝利、というプログラムが反映されたものが多くなりますが、《英雄》には、まさにこうしたプログラムが反映されています。ちなみに、このプログラムがもっともよく描かれているのが、《交響曲第9番「合唱つき」》です。

 ベートーヴェンの交響曲はどれも聴きごたえのある、重量級の作品ばかりですが、一般にもっともよく知られているのは、《第5番「運命」》でしょう。例の「ジャジャジャジャーン」という第1楽章冒頭のモティーフについて、ベートーヴェンが「運命はこのように戸を叩く」と語った、という逸話が残されていますが、現在ではどうやらこれは、弟子のシンドラーの作り話だろうと考えられています。その真偽はともかく、このモティーフが全曲を統一していく、という作曲の仕方が、当時としては非常に斬新なものでした。

 その他には、自然の風景が生き生きと描かれた《第6番「田園」》、そして近年では「のだめカンタービレ」ドラマ版で使われ一躍人気が出た《第7番》もオーケストラの演奏会の定番曲。ちなみに《第7番》については、ベートーヴェンの作品を高く評価していたワーグナーが「舞踏の聖化」と呼んでいるように、全曲を通してリズムの面白さが聴き手の気分を高めてくれる作品です。

 

イケメンではなくてもリア充?!

 ベートーヴェンは身長165センチほど。どちらかというと胴長短足、いつも髪の毛はボサボサで、浅黒い肌には小さい頃に患った天然痘のあとが残っていたといいます。つまり、いわゆる「イケメン」からはほど遠い容貌(ようぼう)だったわけですが、意外にも女性にはかなりモテたらしいのです。ベートーヴェンに会った人が書いたものの中には、太い眉の下のまなざしが誠実で、真っ白い歯がのぞく笑顔が魅力的、といった記述があり、実際、20代から30代のピアニストとして活躍していた頃には、多くの女性ファンがいたといいます。貴婦人たちにとっては、貴族の男性にはない粗野で自然なところが新鮮に映ったのかもしれませんし、あるいは、芸術のよいパトロネスでありたいと願う彼女たちが、ベートーヴェンの音楽を高く評価していたことの表れなのかもしれません。

 そんなベートーヴェンですが、死後に戸棚の中から「不滅の恋人に」と書かれた手紙が3通みつかりました。この熱烈なラブレターの相手がいったい誰なのか、研究者の間で論争が巻き起こったのですが、現在では、1810年頃に親しくつきあっていたブレンターノ家の夫人、アントニエ・ブレンターノではないかという説が有力です。既婚者で子供が4人もいたアントニエとの恋がいったいどのようなものだったのか、詳しいことはわからないのですが、「不滅の恋人」という呼びかけから想像できるのは、この恋がベートーヴェンの人生における、おそらくただひとつの真実の愛として心に残り続けたのではないか、ということです。ちなみに、晩年のベートーヴェンの傑作ピアノ曲のひとつである《ディアベルリ変奏曲》が、このアントニエに捧げられていることは記憶に留めておいてもいいかもしれません。

 

臆さず仲良くなりたいベートーヴェン

 ベートーヴェンの音楽は、間違いなく「クラシック音楽の王道」であり、これを聴かずしてクラシックは語れないのは確か。しかし、そういう「王道」イメージのために、逆にクラシック初心者の方が、「なんだか難しそう」「聴いてよくわからなかったらどうしよう」といったネガティブな方向にとらえてしまうこともありがちです。しかしよくよく聴いてみると、特に交響曲は、キャッチーなメロディや心躍るリズムの宝庫なのです。ですのでいちどベートーヴェンさんには、「楽聖」の王座から降りてもらおうではありませんか。先入観を取り払って聴いてみれば、必ずあなたの心のフックにひっかかる曲、フレーズがあるに違いありません。そして、ベートーヴェンの作品の中にお気に入りができれば、クラシック音楽への理解がぐんと深まること間違いなし。今年の秋は、改めてベートーヴェンの作品をじっくり聴いてみるのもいいかもしれません。

 

(室田尚子/音楽評論家)

 

オススメ・コンサート オススメ・コンサート

2014年10月18日(土)6:00pm  2014年10月19日(日)3:00pm
第1790回 定期公演Aプログラム NHKホール
ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第1番 作品138
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15
ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調 作品92
指揮:ロジャー・ノリントン
ピアノ:フランチェスコ・ピエモンテージ

 

 



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