ファリャ (1876~1946)

バレエ組曲「三角帽子」第1部、第2部 (約25分)

 ルネサンス時代のイタリア貴族の館での踊りが起源だとされているバレエ。その後ルイ14世の宮廷、19世紀前半のパリ、そして帝政時代のロシアでひとつの頂点を迎えたが、バレエにおいて音楽と舞踏とが最も緊密に結びつき、これまでにない斬新(ざんしん)な総合芸術へと昇華されていった幸福な時代は、20世紀前半のパリだといっても過言ではない。
 背景には当代随一の興行主セルゲイ・ディアギレフの存在があった。彼はダンサーでも音楽家でもなかったが、裕福な家庭の出身で当時のロシアの芸術家達との交流も深めていた。そうして培った芸術をめぐる教養と時代への鋭い感性によって、自身が率いたロシア・バレエ団を歴史に残る名カンパニーへと押し上げたのだった。彼の嗅覚(きゅうかく)は音楽選択にも発揮された。当時のパリの聴衆の話題になりそうな斬新な音楽でバレエを次々と上演。賛否が分かれたこともあったが、結果的には当時のパリでこれほどまでに成功を収めたバレエ団はほかには存在しなかった。
 ファリャの代表作となったバレエ音楽《三角帽子》誕生のきっかけをつくったのが、このディアギレフだったのである。スペイン風のバレエの上演を企画していた彼が白羽の矢を立てたのが、ストラヴィンスキーの紹介で1916年に知り会ったファリャ。おそらく当時のパリで流行していた異国趣味をバレエにも採り入れようとしたのだろう。当初はファリャの《スペインの庭の夜》を気に入ったディアギレフがバレエ化を提案したらしいが、題材は両者の協議のうえ、ファリャがかねてから関心を抱いていたアラルコンのパントマイム劇『代官と粉屋の娘』に決まった。振付家レオニード・マシーンはスペイン風のリアルな情感を出すために、ファリャとともにグラナダを訪れ、ロマの踊り手の青年に指南を受け、土着の踊りの動きを最大限とり入れたと伝えられている。1919年7月22日のロンドンのアルハンブラ劇場での初演は大成功をおさめた。粉屋の妻役は、のちに名バレリーナのマーゴ・フォンテーンの当たり役ともなった。初演の管弦楽の指揮を担当したのは、エルネスト・アンセルメである。
 バレエには、アンダルシアの町はずれに住む水車小屋の粉屋の夫妻。そして代官夫妻、伊達(だて)男、警官、近所の人たちなどが登場する。物語は、横暴な代官がやり込められ、ひどい仕打ちを受けるという痛快な喜劇。美しい粉屋の妻を見初めた代官は、彼女を自分の物にしようと画策。粉屋を強引に逮捕させるという暴挙に出るのだが、粉屋の妻に迫ろうとした代官は、橋から落ちてずぶ濡れになってしまう。上着を着替えようと粉屋の家に忍び込み、粉屋のマント姿になった代官は、今度は留置所から逃げ出した粉屋に間違えられ、警官に手ひどい仕打ちを受けるのである。
 今回演奏されるのはバレエ版から1921年に2部構成に編み直された組曲版。バレエ版からかなり音楽を刈り込み、聴きどころを巧みにつなげた版で、密度の濃いものになっている。第1部は5曲からなる。ティンパニ、トランペット、ホルンによる短い〈序奏〉に続く〈昼下がり〉は、粉屋夫妻の踊りで、叙情味豊かな音楽に民族舞踏的な情感が入り交じる部分になっている。スペインのアンダルシア地方のフラメンコのリズムによるファンダンゴを用いた〈粉ひき女の踊り〉は、独特のアクセントのついた音楽で、バレエ版でも粉屋の妻のソロ・ダンスの見せ場になっている。その後〈お代官様〉では、粉屋の妻にちょっかいをだしにやって来た代官の姿が短くユーモラスに描かれる。第1部をしめくくる〈ぶどう〉は、2人のやり取りに粉屋も加わる場面になる。ぶどうを差し出された代官は粉屋の妻に言い寄ろうとするが、うまくいかず退散する。
 3曲からなる第2部は、〈近所の人たちの踊り〉で開始される。スペインの民族舞踏セギディーリャによる生き生きとした躍動感が際立っている。この舞曲はあのビゼーの《カルメン》などでもおなじみだが、3拍子でカスタネットとギターを伴う躍動したリズムが特徴である。続く〈粉屋の踊り〉はファルーカとよばれるスペインの2拍子系の激しい民俗舞踏がもとになっており、粉屋の逮捕とひとり残される妻が描写される。最後は、〈終幕の踊り〉。旋回するような舞曲ホタのリズムで華麗に曲は閉じられる。

作曲年代:1919年(バレエ版)、1921年(組曲版)
初演:1919年7月22日、ロンドンのアルハンブラ劇場(バレエ版)、エルネスト・アンセルメ指揮

(伊藤制子)