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NHK交響楽団は、現在、アメリカ公演を行っています。今回はまず西海岸のロサンゼルス、サンフランシスコ、そして東部に移りフィラデルフィア、ニューブランズウィック、ボストン、パーチェス、最後にニューヨークと、7都市で7公演を、音楽監督ウラディーミル・アシュケナージさんの指揮、ソリストにフランスの人気女性ピアニスト、エレーヌ・グリモーさんを迎えて行います。きょうから、アメリカ公演のようすをお送りいたします。
N響アメリカ公演一行115名は、去る12日夕方、新東京国際空港(成田)を全日空機で出発、日付変更線を越えて同日の昼にロサンゼルス空港に降り立ちました。この時期、当地は朝夕は少し冷えますが、昼間は歩くと少し汗ばむぐらいで暖かく快適です。 アメリカ公演最初は、そのロサンゼルスで10月14日14時から、マチネー・コンサートとして行いました。会場は、ウォルト・ディズニー・コンサートホール。N響の客演でも評判の高いエサ・ペッカ・サロネン率いるロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として、2003年にダウンタウンの中心地にオープンしました。このホールは、アニメーション映画の王様ウォルト・ディズニーの未亡人リリアン・ディズニーさんが、ロス・フィル専用ホールの建設資金にと寄付したことから、この名前が付けられたものです。建物全体は、アメリカのモダン建築家で知られるフランク・ゲーリーさんの設計。外装はステンレス・スチールで覆われ、うねるような3次元曲面で構成されたユニークな形をしています。イメージ的には、建物というよりも彫刻に近い感じがします。ホール内のサウンド設計は、日本の代表的ホールを数多く手がけている永田音響設計で、サントリーホールや札幌コンサートホールと同様、ステージを取り囲む形で客席が配置されるいわゆるワインヤード型で、天井や壁面は米松、ステージはアラスカ産ヒマラヤ杉、客席の床は樫です。席数は2265、2006席のサントリーホールより一回り大きい形状です。
そのディズニー・コンサートホールに、ほぼ満席のお客さまがお見えになりました。曲目は、前半がグリモーさんのソロでブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」です。グリモーさんはフランス生まれですが、ドイツ・ロマン派音楽を得意としており、とくにブラームスのこの曲はCDもリリースされ、評判になっています。彼女の端正で真摯な演奏に、会場はブラボーの声とともに大きな拍手、そしてスタンディング・オベーションとなりました。後半は、ドビュッシーの交響詩「海」とエルガーの「変奏曲『なぞ』」。「海」では、アシュケナージさんがイメージする色彩的で変化に富む音の綾を楽員が見事に応えていました。「なぞ」はエルガー自身が創作したテーマと14の変奏から成る作品です。これらの変奏曲は、エルガーと関係の深い人々を描いており、それぞれの人物像をアシュケナージさんはきっちりと表現していました。最後の変奏曲はエルガー自身を描いたものですが、このホールの重低音から繊細な高音まで出せるちょっとユニークなデザインのパイプオルガンが加わり、洒脱なエルガーの作品を盛り上げていました。演奏が終わるや否や、会場から万雷の拍手が沸き起こり、やがてブラボーの嵐、そしてスタンディング・オベーションへと変わっていったのです。
N響アメリカ公演、初日のロサンゼルスでは、こうして大成功のうちに終了。ふだんロス・フィルを聴いているアメリカ人のお客さまからは、「N響の精緻でエネルギッシュな演奏に感激した。ロス・フィルよりすばらしいところがたくさんある。」と、うれしい感想をいただきました。
明日は昼の飛行機でサンフランシスコに向かい、夜、2回目の公演を行います。
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アメリカの空港のセキュリティチェックが厳しいのは、ご存知かも知れません。最近では預けるスーツケースに鍵をかけることが禁止されており、いつでも荷物のチェックができるようになっています。実際、今回のツアーでもスーツケースが開けられ、中をチェックされた痕跡のあった人が何人かいました。また、搭乗ゲートへの入口でのチェックも厳しく、靴や上着は脱いでカゴにいれなければなりませんし、金属探知機の感度も日本より強力なものを使用しています。さらに、果物や野菜など食べ物はもちろんのこと、ペットボトルなどの飲み物類やスプレー式のものやゼリー状になった身の回りの用品などの持ち込みは禁止されています。ですから、ペットボトルの水などは、飲んでしまうか、チェックポイントで捨てるしかありません。チューブに入った整髪料を捨てられて、怒っている初老のアメリカ人もいました。しかし、今のアメリカは戦争中の国、いたし方がないのかも知れません。
そうしたチェックも、さすがに慣れているのか手際がよく、以外にスムースにゲートインできたものの、サンフランシスコ空港が濃霧のため、天候回復次第のフライトとなる旨が知らされました。すでに13時はとっくに過ぎていたため、機内食が航空機から降ろされて全員に配布、ロビーで食べて待つこととなりました。1時間後、やっとのことで離陸、サンフランシスコに到着したのは16時でした。こうしてバタバタのうちにサンフランシスコ空港に着いた一行は、4台のバスに分散して市内に移動します。しかし、ついていないときにはついていないものです。日曜日の午後というのにフリーウェイは大渋滞。ホテルに着いたのが17時。練習は17時45分から。とにかく、荷物を部屋に入れ、着替えもそこそこにホールへと向かいます。 サンフランシスコでのホールは、デヴィース・シンフォニーホール。サンフランシスコ交響楽団の本拠地です。サンフランシスコ交響楽団の現在の音楽監督はマイケル・ティルソン・トーマスさんですが、かつてはN響名誉指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットさんが音楽監督だった時代もあります。そのブロムシュテットさんが前日まで客演しており、N響あてに「歓迎」メッセージが届けられていました。それを練習時にアシュケナージさんが披露、楽員全員はブロムシュテットさんの心遣いに感激していました。
デヴィース・シンフォニーホールは、1980年に建てられたコンサート専用ホールで、2743の座席を4層に配した大型ホールです。前日のディズニー・ホールより残響が少し長く、約2.5秒。サウンドはマイルドで、その上各楽器の音がはっきりと聴かれ、なかなかのすばらしいホールです。天井には強化プラスチックの音響反射板が吊り下げられており、自由に位置が変えられます。このホールの音質がいいのも、この反響版が大いに役立っているのだろうと思いました。 きょうのプログラムは、昨日と同じ。グリモーさんのピアノとの協演でブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」、それにドビュッシーの「海」、エルガーの「変奏曲『なぞ』」です。会場は、きょうもほぼ満席。グリモーさんはサンフランシスコでもよく知られたピアニストで、サンフランシスコ響とラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」を演奏して大成功をおさめています。きょうのブラームスも誠実な演奏で、お客さまを魅了していました。会場もブラボーの声とともに大きな拍手、そしてスタンディング・オベーションです。後半のドビュッシー、エルガーの演奏も上々で、アシュケナージさんは、拍手、ブラボー、スタンディング・オベーションに応えて何度もステージに足を運んでもらいました。
明日は、東側の工業都市フィラデルフィアへの旅行日です。
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10月16日午後、一行は、サンフランシスコから次の演奏地フィラデルフィアまで2便の国内線に分かれて移動します。所要時間は約5時間半。成田からだとフィリピンのマニラあたりまで飛行する距離でしょうか。まあ、アメリカ大陸を西から東に横断するのですから、そのぐらいかかるのは当然でしょう。また、同じ国内でも3時間の時差があります。あらためて、アメリカ大陸の広さを感じさせられました。サンフランシスコ空港の離陸も1時間ほどの遅れ。これだけ広い国だとタイムテーブル通りの飛行が難しいのかも知れません。いずれにしても、私たちがフィラデルフィアに到着したのは深夜、日付けが変わるころでした。
フィラデルフィアは、ペンシルベニア州最大の都市、米国全体でも4番目、人口は150万人です。この街のオーケストラは、ご存知フィラデルフィア管弦楽団。全米5大オーケストラのひとつです。1900年に創設され、レオポルド・ストコフスキー、ユージン・オーマンディが基礎を築き上げ、最近まで、N響桂冠名誉指揮者のウォルフガング・サヴァリッシュさんが首席指揮者を務めてきました。今回のN響の演奏会場は、その名門オーケストラの本拠地ヴェリゾン・ホールです。ヴェリゾン・ホールは、2001年末にオープンしたキンメル・センター(各種芸術の殿堂)内に、フィラデルフィア管弦楽団のためのコンサート専用ホールとして建てられました。座席数は2500。ヨーロッパのオペラ・ハウスのように1階が平土間、2階以上が馬蹄形を基調としています。それまで豪放らい落なフィラデルフィア管弦楽団のサウンドがこのホールに移ってから、また、サヴァリッシュさんが指揮をするようになって、マイルドになるとともに緻密さを増したと言われるだけあって、非常に伸びやかなサウンドです。
ロビーの施設も充実しており、軽食コーナーはバーにでもいったかのように各種飲み物が備えられていました。また、コンサート開演前に地元の音楽家たちによる「ロビー室内楽」も行われており、雰囲気を盛り上げていました。
10月17日、きょうのプログラムも、ロサンゼルス、サンフランシスコと同じくグリモーさんをソリストとしてブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」、それにドビュッシーの「海」、エルガーの「変奏曲『なぞ』」です。この日、フィラデルフィアは朝から大粒の雨が降りしきっていました。そのためか、会場は、残念ながら65%ほどの入りでした。しかし、お客さまの反応はたいへんなもので、前半からブラボーの嵐、そしてスタンディング・オベーションです。このプログラムも日増しに練られた演奏になってきたようです。
明日は、フィラデルフィアからニューヨーク方面にバスで1時間半ほど移動、ニュージャージー州のニューブランズウィックです。
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10月18日は、ニューブランズウィックでの公演です。一行はバスに1時間半ほど揺られ、この街に到着しました。
ニューブランズウィックは、フィラデルフィアとニューヨークのほぼ中間に位置するニュージャージー州の街です。アメリカ合衆国建国以前から栄えた300年の歴史を誇る地だそうで、福井市と鶴岡市が姉妹都市の提携を結んでいます。人口は43,000人。古くからの名門ラトガース大学を有し、また、日本でも知られた製薬会社の本社および国際本部があり、学園商業都市として栄えています。
そのニューブランズウィックにあるニュージャージー州立劇場が、会場です。オープンしたのが1921年。ことし、85周年を迎える、N響より5年先輩のホールです。外観はレンガ造りで、それぞれの端が欠けたりしており、長い風雪に耐えてきた建物であることがひと目でわかります。「音が悪かったら、悲しいなあ。」と思いつつ会場入りしました。バックステージも狭く、楽員の控室も限られています。楽器の搬入も苦労したようです。しかし、楽屋の壁には、ナタリー・コールやB.B.キングなど、スーパースターの写真やサインが誇らしげに飾られています。9月には、マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニックがコンサートを行ったそうです。そう言えば、アシュケナージさんが前日「ピアノリサイタルを開いたこともあるし、イギリスのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とツアーで来たことがある。なかなかいい音のホールだよ。」と言っていました。
ステージに行き客席を見渡すと、何といい雰囲気ではありませんか。コンサート専用ホールではないけれど、「伝統ある劇場」という感じです。客席に降りると、楽員がステージ上で練習する音が伸びやかに聴こえてきます。やがて、ゲネプロが始まります。ニューブランズウィックでのプログラムは武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」、グリモーさんのピアノ協演でバルトークの「ピアノ協奏曲第3番」、それにラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番と第2番です。東京でコンサートを行ってきたプログラムとは言え、アメリカでは新しいプログラム。全曲を通しての完全リハーサルです。最初は武満。これは1階で聴きました。武満作品の東洋と西洋が見事な形で融合した、幻想的な世界が広がります。この曲は、去年のヨーロッパ公演にも持っていきました。アシュケナージさんが大好きな作品のひとつです。「なかなかいい音だね。」インスペクターの渡辺氏に目配せします。続いてラヴェル。これは2階席で聴きました。1階より、さらにいいサウンドです。各セクション、各楽器の音がほどほどに混ざり合い、残響時間も短すぎず長すぎず。個人的には、これまでの最新型の3会場より好きな音です。音響設計技術的には「まだまだ」の時代に、よくこうしたホールを作ることができたものだと思います。そう言えば、ウィーンの楽友協会大ホール、アムステルダム・コンセルトヘボウなど、100年以上も経っていますが、いまでもすばらしいサウンドを誇っています。ホール設計者の職人的勘と耳、それに裏打ちされた材料選択に秘密があるのかも知れません。ホールは、見た目でないことがよくわかります。
すばらしいサウンドのホールでしたが、ひとつ残念だったのはお客さまが600人程度だったことです。これは、当初は別の街、別のホールでのコンサートを計画していたのですが、1ヶ月前にホール側の手違いでキャンセルとなり、急遽このニューブランズウィックで公演することになったのです。チケット販売期間が1ヶ月足らずだったため、いたし方のないことだったのでしょう。しかし、600人の、お出でくださったお客さまのために楽員一同熱演、スタンディングオベーションを含め、最大限の拍手をいただきました。
明日は、フィラデルフィア駅からアム・トラックに乗って、ボストン南駅まで鉄道での移動です。

ニューブランズウィック公演の翌日、10月19日午前10時過ぎ、一行は、フィラデルフィア30丁目駅からボストン南駅まで、最高時速240㎞で走るアムトラック鉄道の「アセラ・エクスプレス」で移動します。ワシントン発の「アセラ」は、ほぼ定刻に入線しました。フランスの新幹線TGVスタイルの、スマートな車体です。この列車のうち2車両をN響用としてチャーターしていた、はずでした。しかし、どうやらアムトラックのミスで、ほかのお客さんが座席の半分ほどに座っているではありませんか。旅行社と「アセラ」の車掌にわけを尋ねると、「指定席としてリザーブしていたが、自由席のお客さんがきて座ってしまった。一度座ってしまうと、移動してもらうのが困難だ。」と言うのです。何とも無責任な話です。車掌に抗議し、自由席のお客さんには別車両に移ってもらいました。そんな騒ぎを経て、一路、ニューヨーク経由でボストンに向かったのです。
ボストンは、アメリカ北東部マサチューセッツ州の州都、人口は58万人です。17世紀初頭から清教徒が入植、やがてアメリカ独立運動の拠点となった地で、ヨーロッパ的な雰囲気を湛えています。現在では経済・金融の中心地であるとともに、著名総合大学や各専門大学が集中する学術都市でもあります。ここにあるバークリー音楽大学ではジャズ、ポップスの専門教育を行っており(世界で唯一と言われています)、キース・ジャレット、クインシー・ジョーンズ、秋吉敏子などを生んだ名門校です。
この街のオーケストラは、ボストン交響楽団。1881年に創立され、ニキシュ、モントゥー、クーセヴィツキー、ミュンシュ、ラインスドルフなど、そうそうたる巨匠たちが首席指揮者を勤めてきました。1973年からは小澤征爾さんが音楽監督に迎えられ、30年近くもボストン市民を魅了し続けてきました。2002年からは、レヴァインが音楽監督を勤めています。
そのボストン交響楽団の本拠地シンフォニーホールが、20日のコンサート会場です。シンフォニーホールは、世界でもっともすばらしいサウンドのホールのひとつと言われています。1900年、「世界で初めて科学的データや計算に基づき音響設計されたホール」としてボストン交響楽団のために建てられました。ホールの形は、ライプツィヒのゲヴァントハウスやウィーンの楽友協会と同じようなシューボックス型です。見た目にも、音がよさそうなホールです。
しかし、ここで、またもやアクシデントがありました。何と、予定時刻になっても楽器が到着しないのです。ニューヨークからボストンまでの高速道路で、渋滞にはまってしまったのでした。楽器は、リハーサル開始40分前にやっと到着しました。古いホールのため、楽器の搬入口やバックステージが狭く、楽器搬入と楽員が錯綜状態。でも、わがN響ステージスタッフは、見事に短時間でステージを作り上げたのでした。しかし、もうひとつ不運が重なります。オーボエ奏者が、急病になってしまったのです。これは幸いなことに、たまたまスケジュールが空いていたボストン交響楽団の副首席オーボエ奏者の若尾圭介さんが快く代役を引き受けてくださいました。さらに天候が不安を誘います。篠突く雨と強風のせいか、気温が一気に10度ほどにまで下がってきたのです。「お客さんは来てくださるだろうか?」と不安が募りましたが、2625の座席数の約90%のお客さんがお出でくださり、ドタバタ騒ぎの疲れは吹き飛んだのでした。
プログラムは東海岸と同じです。さすがに「よい音響」が売り物のホールだけあって各楽器間のバランスもよく、耳の肥えたボストンのお客さまに、N響サウンドの真骨頂を聴いていただけたと思っています。このプログラムは演奏時間が長大なため、これまでの公演ではアンコールは行ってきませんでしたが、盛大な拍手に応えフォーレの「パヴァーヌ」を演奏、フルートの美しい響きに、会場はスタンディングオベーションとなりました。
明日は、ニューヨーク近郊、パーチェスです。

10月22日は、ボストンからバスでハイウェイを利用して4時間あまり、ニューヨーク・シティ近郊の街パーチェスでの公演です。
パーチェスはニューヨーク州ウェストチェスター郡中部に位置する、言わばニューヨーク・シティの閑静なベッドタウンであると同時に、アメリカを代表する清涼飲料水メーカーの本社や日系企業など、国際的大企業が広大な敷地の中に本社を構えるビジネスエリアでもあります。さらに、ニューヨーク州立大学パーチェス校、マンハッタンヴィル・カレッジ、慶應義塾が運営しバイリンガル教育を行う慶應義塾ニューヨーク学院(高等部)そのほか、多くの教育機関が自然に囲まれた緑豊かな田園の中に点在する、全米でもトップクラスの教育水準の学校区域でもあります。
会場は、ニューヨーク州立大学パーチェス校が誇るパフォーミングアーツセンターにあるコンサートホールです。ここパーチェス校は、特に芸術教育に力を入れており、音楽、バレエ、ダンス、美術、演劇、映像、レコーディングのほか、照明からコスチュームまで、ステージにかかわるすべての分野を網羅しています。ここには、コンサートホールのほか、リサイタルホール、演劇ホールなど、5つのホールが備えられ、毎年600以上にのぼる各種公演が行われているそうです。
ここパーチェスでのプログラムは、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」、グリモーさんのピアノ協演でバルトークの「ピアノ協奏曲第3番」、それにラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番と第2番です。「ダフニス」では、オリジナルどおりコーラスを加えました。ニューヨークのデッソフ合唱団です。最終練習の前、アシュケナージさんは、リハーサル室でコーラス練習を行いました。なかなかすばらしいハーモニーです。リハーサル室には立派なオルガンが備えられており、この施設の充実を実感しました。
「NHK交響楽団パーチェス公演」は、「グレート・オーケストラ・シリーズ」に位置づけられていました。座席数1500の会場には、学生だけでなく、実年・熟年のお客さま1400人近くがお出でくださいました。武満徹の「鳥は星形の... 」は、彼が見たという「無数の白い鳥が、星形の庭に向かって舞い降りていく。ところが、その中に一羽黒い鳥がいて、それが、群れをリードしていた。」という夢がきっかけの作品です。武満自身、この夢で見た風景をスケッチで残しています。篳篥(ひちりき)の音色を思わせるオーボエのメロディで始まるこの曲は、やがて洋楽的雰囲気に展開していきます。この幻想的な作品は、アメリカのお客様にも理解されたようで、ブラボーをもって迎えられました。後半のラヴェルは、コーラスが入り、よりスケールの大きな音楽になります。デッソフ合唱団の歌声とNHK交響楽団の重厚な響きが豊かにハーモニーし、ホールいっぱいに拡がっていきました。大きな拍手へのアンコールは、フォーレの「パヴァーヌ」。これもコーラス入りで演奏しました。
コンサート終了後、一行はバスでニューヨーク・シティのホテルに向かい、深夜11時過ぎに到着しました。
明日は、今回のアメリカ・ツアー最後の休日、そして明後日が最終公演、ニューヨークのカーネギーホールです。

10月23日は「2006年アメリカ公演」最終日、ニューヨーク・シティ、カーネギー・ホールでのコンサートです。 ニューヨーク・シティは、世界で最もにぎやかで忙しい街と言っていいでしょう。とくにマンハッタンの中心地は、四六時中人が右往左往と行き交っており、「眠らない街」の異名がぴったりです。
そのニューヨーク・シティの繁華街にあるカーネギー・ホールは、1891年、クラシック音楽だけでなく、ジャズなどポピュラー音楽を含めたコンサート会場として、「ミュージック・ホール」の名でオープンしました。こけら落としにはロシアからチャイコフスキーが招聘されて自作を指揮、その少し後にはドヴォルザークの「新世界交響曲」が初演されるなど、最初から大きな話題となったそうです。オープンして7年後の1898年には大改装されることになり、この事業に「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーが出資、以来「カーネギー・ホール」と呼ばれています。1925年、カーネギー家がホールを手放した後も、「カーネギー・ホール」の名前で、アメリカを代表するホールとしてだけでなく、世界の「音楽の殿堂」として数々の名演を聴かせてきました。しかし、この名門ホールも、地下鉄の振動や外部の喧騒が聞こえるという欠点に悩まされ20年前に再改修、現在では、名実ともに世界最高のホールとして君臨しているのです。
カーネギー・ホールにまつわるジョークがあります。ニューヨーク旅行中の若い男性がカーネギー・ホールに行きたくて、通りかかった老人に尋ねました。"Would you tell me how to get to the Carnegie Hall?"(カーネギー・ホールへの道を教えていただけますか?)これに対して、尋ねられた老人は "Practice son, practice."(キミ、練習だよ、練習。)と、ステージに立つ道を教えたというのです。このジョークで象徴されるように、アーティストたちにとって、またファンにとっても、憧れのホールと言っていいのでしょう。わがN響のメンバーでも、カーネギーのステージを踏めた喜びを噛み締めている者もいました。しかし、それだけ超一流のホールということで規制も厳しく、ステージの写真をいっさい写すことができず、みなさまに内部をお見せできないのが残念です。言葉では言い尽くせませんが、とにかくカーネギー・ホールは、その空間自体がシンメトリカルで美しく、さらにはゴールドと白に近いアイヴォリーの色使いのゴージャスさに目を奪われます。ロビーも、雰囲気を盛り上げてくれます。座席数は2804と、クラシック音楽には少し大きすぎる印象ですが、空席時と満席時とでそれほど大きな差がなく、ナチュラルで、低音から高音までがバランスよくハーモニーしたのには感心させられました。こうした上質のインテリアと最高のサウンドとを兼ね備えたホールは、私がこれまで経験したホールにはないものでした。
さて、カーネギー・ホールでのプログラムは、パーチェスと同じく、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」、グリモーさんのピアノ協演でバルトークの「ピアノ協奏曲第3番」、それに地元のデッソフ合唱団のコーラスが入ってラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番と第2番です。入場されたお客さまは2750人、ほぼ満席でした。会場にお見えになった日本人のなかには、大島国連大使や総領事館のみなさん、さらには「国際ジャズ名声の殿堂」入りを果たしたジャズ界の大御所、秋吉敏子さん、ニューヨークに支店をもつ日本企業のみなさんも顔を見せてくださいました。
カーネギー・ホールでのコンサートは、今回のツアーのなかでももっとも完成度が高いすばらしい演奏だったと思います。元来、ニューヨークのお客さまの反応は厳しく、それなりの演奏のときには拍手はお付き合い程度にしか起きないことが多いそうですが、この日のN響には演奏が終わるや否やブラボー。さらに多くのお客さまがスタンディング・オベーションをしてくださり、うれしい限りでした。あるカーネギー・ホール通は、「きょうの拍手は非常にハイレベルだった。N響はすばらしい演奏を聴かせてくれたよ。」とおっしゃってくださいました。そのあたたかい拍手に応えてのアンコールは、フォーレの「パヴァーヌ」。デッソフ合唱団のコーラスが加わります。この曲が、「2006年アメリカ公演」最後の演奏となりました。
明日は、早々に、ジョン・F・ケネディ空港から、全日空機で2週間ぶりの日本に帰国です。







