
![10月11日|火| [1]](../../../images/archive/tour/2005/report_date1011_1.gif)
今回のNHK交響楽団外国公演は、ベルリンからスタートです。プログラムは、直前の東京で行った定期公演の曲目を中心に組んでいますが、演奏により一層の磨きをかけるため日本を離れる前に練習を行ったほか、現地でも練習を重ねました。
この時期ベルリンは朝夕が10度前後、昼間も20度以下と、非常に過ごしやすくさわやかです。空も青く、快適な天候のなか厳しく熱心な練習が行われました。会場は、ベルリン芸術大学コンサートホール。音楽監督のアシュケナージさんも、かつてカラヤンとの共演を行ったことがあるところだそうで、懐かしそうに楽員に話をしていました。練習は午後1時から5時間ほどをかけて、入念に行われます。R.シュトラウスの「4つの最後の歌」を共演するソプラノ歌手のソイレ・イソコスキさんも顔を見せ、ディテールをチェックしながら進められました。すべての仕上げは上々で、アシュケナージさんも大満足。明日からのコンサートが楽しみです。
練習終了後には、楽員の何人かは連れ立ってベルリン・ドイツ歌劇場でのオペラ公演やフィルハーモニーホールでのコンサートなどに足を運んだり、音楽ショップで楽譜やCDの購入をしたり、わずかな自由時間を過ごしていました。
最初のコンサートは、きょう10月11日午後8時から、フィルハーモニーホールで行います。
![10月11日|火| [2]](../../../images/archive/tour/2005/report_date1011_2.gif)
最初のコンサートは、ベルリンのフィルハーモニーザール(ホール)で行われました。このホールはベルリン・フィルの本拠地ですが、ほかにも欧米の名門オーケストラのコンサートが毎日開かれており、耳の肥えたお客様が集まるホールとしても知られています。午後8時からの開演1時間ほど前の当日券売り場はチケットを求めて40m以上の列ができるほどの盛況ぶりで、1700名近くのお客さまが来場してくださいました。
1曲目はベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」、ソリストはワディム・レーピンさんです。かつての天才少年も、今や押しも押されもせぬ世界的奏者。同郷のアシュケナージさんとの息の合ったアンサンブルは、1708年製のルビーというニックネームがついたストラディヴァリウスからかもし出される豊かな音色と相まって、お客様から惜しみない拍手が送られました。数回のカーテンコールの後、レーピンさんはイザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番」から「バラード」をアンコールとして応えました。
後半は、ショスタコーヴィチの「交響曲第8番」です。アシュケナージさんの祖国、ロシアの大作曲家ショスタコーヴィチへの思いのこもった指揮に応えた迫力のあるNHK交響楽団の演奏は、ベルリンのフィルハーモニーザールに集まったお客さんに大きな感動を与えたようです。会場は、静かで消え入るような最後の音が終わってややあって、「ブラボー」と声と大きな拍手の嵐が響き渡りました。終演時刻は夜10時30分近く、楽屋にはベルリン・フィルの往年の名コンサートマスター、ミシェル・シュヴァルベさんも元気な姿をお見せになり、楽員と旧交をあたためていらっしゃいました。
一行は、本日12時(日本時刻午後7時)にベルリン・テーゲル空港を出発、オーストリアの首都ウィーンに向かい、ムジークフェラインザール(楽友協会ホール)でコンサートを行います。

ヨーロッパ公演第2回は、音楽の都ウィーンのムジークフェラインザール(楽友協会大ホール)で行われました。年始恒例の「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」の会場としてNHKテレビでおなじみの方も多いかと思いますが、このホールは1869(明治2)年に建てられたルネサンス様式の建物です。音響効果を高めるために全て木造で、金箔が施された女神像でバルコニーが支えられています。世界で一番音響がいいのではないかと言う方もいらっしゃるほどすばらしいサウンドを140年近くにわたって提供し続けている歴史あるホールです。
NHK交響楽団では、これまで1960年の初の外国公演の際と1972年の外国公演の際の2回(どちらも正指揮者の岩城宏之さんが指揮)このホールで演奏しています。ですから実に33年ぶり、3回目のフェラインザールへの出演でした。しかも、今回は楽友協会の定期公演に組み込まれたコンサートです。日本の既存のオーケストラ(小澤征爾さん率いる季間編成のサイトウキネン・オーケストラを除いて)としては初めてのことで、これはN響が世界のオーケストラに肩を並べる実力があると認められたからだと言えるでしょう。1750席の会場は椅子席のほかに最後列に立見(聴き?)席がありますが、完売状況でチケット購入ができないお客さまもいらっしゃいました。
プログラムはベルリンと同一で、1曲目はワディム・レーピンさんのソロによるベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」でした。熱演が終わるや否やのブラボーの声が会場いっぱいにこだまし、これに応えてバッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番」から「サラバンド」、さらにレーピンさんの十八番パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭」がアンコールとして演奏されました。
後半は、ショスタコーヴィチの「交響曲第8番」。前日に続き、この重いテーマをもった問題作を響きのいいフェラインザールいっぱいに揺るがし、会場のお客さまに大きな感動を与えました。前半と同様の大きな拍手とブラボーの嵐に包まれ、音楽監督アシュケナージさんも満足げでした。もちろん、楽員たちも、この音楽の聖堂でショスタコーヴィチを感動的に演奏できた喜びでいっぱいでした。
13日も、このムジークフェラインザールで、プログラムを変えて演奏いたします。

10月13日の公演は、昨日に続いてウィーンのムジークフェラインザールで行われました。会場は本日も満席、立錐の余地もありません。ウィーン・フィルの往年の名コンサートマスターだったワルター・バリリさん、名メゾ・ソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィヒさんの姿も会場にあり、私どものコンサートが注目されているのがよくわかりました。きょうのコンサートはNHKによるハイビジョン収録が行われており、後日、「N響アワー」などで放送される予定です。ぜひ、ご覧いただければと思います。
この日は、昨日とはちがうプログラムが演奏されました。冒頭は日本を代表する作曲家、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」です。この曲は、昨年のヨーロッパ公演でも好評を博したものです。神秘的で繊細な「武満サウンド」が会場に響きわたると、聴衆は一気に「アシュケナージ+N響」の世界に引き込まれました。2曲目はソイレ・イソコスキさんのソプラノによるリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」です。イソコスキさんはフィンランド出身で、いまヨーロッパを中心にオペラ歌手として名声を得ていらっしゃいますが、コンサートにはなかなか出演を了解されない方だそうです。今回の共演は、アシュケナージさんの強い要望により実現したものでした。彼女の、繊細で心のひだを切々と表現する歌声に、会場は大きな感動を受けたようでした。最後の抑えた一音が消え入ると、「ブラボー」の声と拍手が交錯しました。
20分休憩後の後半は、ドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」で始まります。いわゆる音楽の「印象派」の幕開けとなったこの曲は、ウィーンでの演奏は数少ないようで、N響のレパートリーの広さを披露するところとなりました。フィナーレはラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」第1組曲です。この作品はN響が最も得意とするフランス音楽のひとつで、繊細なまでに美しい弦楽器群と息の合ったアンサンブルを聴かせる木管楽器群、パワフルな金管楽器群、それに精緻なリズムで応える打楽器群と鍵盤楽器、さらにフランス音楽には欠かせないハープが見事に調和したN響サウンドに、満席の聴衆は惜しみない拍手を送ってくださいました。これに応えたアンコールは、同じくフランスの作曲家フォーレの「パヴァーヌ」です。会場には、「ダフニス」の色彩豊かな音楽と一変した懐かしさを感じさせる美しいメロディが織り成す時空間が漂い、プログラム全体に見事なコントラストを演出しました。
次はハンガリーの首都ブダペストに移動して、4回目のコンサートを開きます。

ウィーン公演を終えた翌日の10月14日、NHK交響楽団一行はバスで次の公演地ハンガリーの首都ブダペストに向かいました。ハンガリーはすでにEUに加盟しており、国境はかつてのようなものものしい警備はありませんでしたが、それでも全員がパスポート・チェックを受けます。休憩を入れてもウィーンから3時間半ほどで到着したブダペストは、「ドナウの真珠」と称えられた美しい都市です。古くから東西ヨーロッパの交通の要衝として、その大きな役割を担うドナウ川をはさんで、ブダ地区とペスト地区、それに南部のオーブダ地区から成り立っています。会場はことしオープンしたばかりのブダペスト芸術宮殿国立コンサートホールです。このホールは市街南部に位置し、新しく開発が進められている地域に建っています。新しいホールだけに、ホワイエ、ロビー、楽屋まわりがゆったりと作られていました。客席は伝統的な「馬蹄」を意識した形になっており、座席が1500、立ち席が200、ステージも大編成の音楽もできる広さがあり、さらにパイプオルガンも装備した、まさに近代的なクラシック音楽の専用ホールです。内装には木がふんだんに使われていますが、天井が高いためか響きが若干抑えられており、楽器の定位がわかりやすいものでした。これから建材が乾燥し、使用頻度が高くなってくると、さらにいいホールになっていくことと思います。
この日は、ウィーンの2日目と同一プログラムです。冒頭の武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」は、初めて耳にするお客さまも多かったと思いますが、その幻想的な世界に酔いしれていらっしゃいました。2曲目のリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」では、イソコスキさんのすばらしい歌声に、会場からは1曲ずつ拍手が起きていました。後半はドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」、それにラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」第1組曲です。「ダフニス」の華やかでカラフルなサウンドが、この新しいブダペストの音楽の殿堂いっぱい響きわたると、大きな拍手と喝采の口笛が沸き起こります。やがてこの拍手が、独特のひとつのリズムに統一されクライマックスに達したところで、アシュケナージさんが会場を制し、感謝の言葉とアンコールにフォーレの「パヴァーヌ」を演奏することを伝えます。さらに盛大になった拍手が静まり、少しメランコリックで、甘酸っぱい情感のこもった小曲の始まりです。アンコールが終わると、この硬軟ともに自在なN響の演奏に、会場は惜しみない拍手で包まれました。
15日は、ヨーロッパ東部から西端まで大きく飛び、ポルトガルの首都リスボンに移動いたします。

ブダペストからポルトガルの首都リスボンに着いたN響のメンバー一行は、4日ぶりに半日の休息をとりました。
詩人カモンエスが「ここに地果て、海始まる」と詠ったように、ポルトガルはヨーロッパ大陸最西端に位置しています。その首都リスボンは、「7つの丘の町」の異名をもつほど坂の多いところで、登坂電車は高齢者には欠かせません。ご承知のように日本との関係は深く、種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガル人ですし、今や日本語として使われているパンやテンプラ、カステラ、タバコ、ボタンなどは、ポルトガル語がルーツです。また、1584年には天正遣欧少年使節がリスボンを訪れており、1ヶ月近くも滞在したサン・ロケ教会が現存しています。
そんな日本との関係が濃いポルトガルでの11年ぶりのN響公演、会場はColiseu dos Recreiosです。ここはコンサートだけでなく、オペラ、バレエはもちろんのこと、ダンスや種々のイベント会場としても使え、3000人を収容できる多目的ホールです。ふつう、多目的ホールでは音質が犠牲になっているところが多いのですが、この会場は音質もよく、イソコスキさんの歌声も会場のどの位置でもしっかりと届いていました。ただ、「丘の町」だけに、楽屋口は坂の途中に位置していました。
この日も、ウィーン2日目、それにブダペストと同一プログラムです。開演時刻は午後9時から。日本でのコンサートが午後7時に開演して9時に終演するパターンが多いだけに、楽員には多少の戸惑いがあったようです。しかし、3度目の演奏だけに、アシュケナージさんも楽員たちも、肩の力が抜けた非常にレベルの高い演奏になったと思います。立見を入れて3000人のお客さまにも、大いに満足をしていただけたものと確信しています。
コンサートは深夜11時に終演、楽員たちは三々五々、会場近くのレストランに散り、ポルト酒や魚介類を中心とした料理で疲れを癒していました。
次は、スペインの首都マドリードに移動、「2005年N響外国公演」の最終回を行います。

ブダペストからポルトガルの首都リスボンに着いたN響のメンバー一行は、4日ぶりに半日の休息をとりました。
詩人カモンエスが「ここに地果て、海始まる」と詠ったように、ポルトガルはヨーロッパ大陸最西端に位置しています。その首都リスボンは、「7つの丘の町」の異名をもつほど坂の多いところで、登坂電車は高齢者には欠かせません。ご承知のように日本との関係は深く、種子島に鉄砲を伝えたのはポルトガル人ですし、今や日本語として使われているパンやテンプラ、カステラ、タバコ、ボタンなどは、ポルトガル語がルーツです。また、1584年には天正遣欧少年使節がリスボンを訪れており、1ヶ月近くも滞在したサン・ロケ教会が現存しています。
そんな日本との関係が濃いポルトガルでの11年ぶりのN響公演、会場はColiseu dos Recreiosです。ここはコンサートだけでなく、オペラ、バレエはもちろんのこと、ダンスや種々のイベント会場としても使え、3000人を収容できる多目的ホールです。ふつう、多目的ホールでは音質が犠牲になっているところが多いのですが、この会場は音質もよく、イソコスキさんの歌声も会場のどの位置でもしっかりと届いていました。ただ、「丘の町」だけに、楽屋口は坂の途中に位置していました。
この日も、ウィーン2日目、それにブダペストと同一プログラムです。開演時刻は午後9時から。日本でのコンサートが午後7時に開演して9時に終演するパターンが多いだけに、楽員には多少の戸惑いがあったようです。しかし、3度目の演奏だけに、アシュケナージさんも楽員たちも、肩の力が抜けた非常にレベルの高い演奏になったと思います。立見を入れて3000人のお客さまにも、大いに満足をしていただけたものと確信しています。
コンサートは深夜11時に終演、楽員たちは三々五々、会場近くのレストランに散り、ポルト酒や魚介類を中心とした料理で疲れを癒していました。
次は、スペインの首都マドリードに移動、「2005年N響外国公演」の最終回を行います。






